offcourse-love OPEN2011.1.20 本文へジャンプ

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オフコース 伝説のグループ

オフコース。もう誰も語りはしない。
もう結成されることもない。 優しさの時代。愛の時代。 あの時代はどんどん遠く・・。


いつも言葉がたりなくて 
君は息を止めて僕を見てるだけ
offcourse
1969-1989
オフコースはもう
決して
再結成されないのだろうか。
イメージ
PICK UP 「のがすなチャンスを」が初期バージョンではいる、プロローグの曲がすばらしい。

ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト

ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト (YAMAHA LIGHT MUSIC CONTEST, LMC) は、ヤマハ音楽振興会主催による音楽コンテストの名称。1967年(昭和42年)から1971年(昭和46年)までの5年間行われた。

このコンテストは後にポプコンと受け継がれ、数々のアーチストを世に出した。
ヤマハハ音楽の裾野を広げ、平和日本の若者に音楽のたのしみを与え、産業を活性化させて
川上源一氏の功労はおおきい。
さて、オフコースであるが、「卒業の思い出」「腕だめし」という感覚でいどんだようだ。
東北大会から出た理由は、全国大会にでやすそうだった、といったかもしれない。

LMCは最初は
「仙台大会からであった、」
1969年7月20日仙台市の西花苑(フラワー・ガーデン)で行われた。
三分以内の曲を二曲という規定で
彼らは (one boys)
(A SOalin)を演奏した。
彼らははじめてのコンテストに舞い上がり、マイクバランスも悪く
声もあんまりでなかった、
「受賞者の発表でっす!」・・・・

しかし、そこにはジ・オフコース?の名前はなかった、
彼らや会場の応援団も呆然としていたところ
ひとりひとりの批評がおこなわれ、オフコースの番になるや否や
メンバーの鈴木、地主が、
「どこがだめだったんですか!教えてください」
と、詰め寄ったのである。
審査員たちは首をかしげ、
「彼らには高得点をいれたはずだが・・・」
ということで、集計の計算ミスが判明。
何とかに二位で東北大会に進むことができた。
東北大会予選を通過し、東北大会本予選にも同じ曲ででた。
今度はグランプリで東北大会一位の座を得た、
東北大会で惜しくも二位になった、東北大学の後輩は
「やつらは、関東のくせに・・東北にでやがって・・」
と、批判をしていた・・。
いよいよ、東京での全国大会。

11月2日 
全国からたくさんのアマチュアグループが集まり
5時間にわたる審査がおこなわれた。
janejane
小田さんは後に語る、
「裏のところで一生懸命練習しているグループがいた。
そのコーラスを聴いて、これはだめだ、負ける・・」
とおもったのである、「赤い鳥」との出会いである。
予想どおり、赤い鳥が一位、ジ・オフコースは二位となった。
結果的に彼らが二位に納得するわけもなく、
もんもんとし、音楽への憧憬がわいてくるのであった。
つづく

http://www.youtube.com/watch?v=6_SjUenyVmI&feature=fvw






私的オフコースの音楽とあの日

ぼくのなかのおもいではあの時代のオフコースの歌とともに眠っていた。
ダンボールの中にあった、オフコースのLP、その段ボールを開けたとき
数々の記憶がよみがえる・・。

愛を止めないでの思い出・・。
さよなら ぼくもさよなら



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