オフコースの小さい部屋

オフコースは、鈴木と小田の二人になり、彼らは音楽の新しい展開を模索していた。
いわば、「風のように音楽が・・」のような感じかな?僕はリアルに体験していません、
彼らのファンクラブの5人体制終了時の発刊の本、「はじめの一歩」に詳しく書かれているのを
抜粋アレンジしてのせます、関係者の方には無断で申し訳ありません、
彼らの生き様をネットをとうして、若い人や同世代、いろんな方に知ってもらおうと思います、(べんとうや)
※あえて、小さな部屋を名前かえています

テーマ 曲。その他。
オフコースの小さい部屋
vol.11975年3月22日土曜日5時開演
なぜ音楽を続けるか? 彼らがなぜ、音楽を選んだか、なぜ、音楽を続けてゆくのかデビューして5年になろうとしていたときに彼らの手作りのメッセージのある音楽会がはじまった。まず、学生時代、横浜のやっさんより小田さんに送られた手紙を読むとこからはじまりました。しかし、テレやの小田君はなかなか、読みはじめない・・。手紙の内容は将来についてなやんでるやっさん。サラリーマンになりたくないとか、学生はいやだとか・・・。」そして、鈴木康博登場、
鈴木康博の最初の作品「みずたまり」が演奏。作詞は不詳?
かれらが高校生2年のクリスマスパーティに生まれて初めて演奏したことを語り始めた。当時は、スタンダートばかりを、「アルペジオ」のみで演奏。
PPMが大好きで耳をそばだてて、聞いて、コピーするのですが、限界があって、
鈴木がとある先輩から「スリーフィンガー」を教えてもらい、
地主や小田に鈴木が伝授。
そのときの感動はわすれない。あんな音がギターからでるのかと、驚きました。

スリーフィンガーの代表的な曲。
「Don`t think Twice it`s All Right」を演奏  ♪ ・・・(ボブディラン)
注)PPMとは、大気窒素濃度でなく、ピーターポール&マリーという、米国の人気
グループ、多大なる影響をいまの団塊の世代に与えた。


それから、
「Leavinng On a Jet plane] ♪
[Early morning rain]♪ 
を演奏、
小田たちと鈴木は仙台と横浜にわかれて、互いに音楽のことについて
手紙やはがきで語りあった。
1968年ヤマハライトミュージックコンテストに話・・
仙台予選2位
宮城予選1位
東北予選1位と通過し

全国大会へ・・・
その当時の小田の日記を”相変わらず 照れながら” 紹介。
「 ええ、いろいろありまして、当然のように予選で一位で通過しまして
全国では、いろいろ勉強になりまして、オフコースは2位・・
非常に残念でした。」
その大会のライブLPが流れる ♪
注。このライブが再びCDになります。2006.9.
ジオフ?コース 「one boy}
赤い鳥 「 竹田の子守唄 」 
フォーシンガーズ「 金毘羅ふねふね」 が流れる。

こうして、彼らの音楽の出会いとスタートを述べて

一回目のゲスト登場
「 山本コータロー 」 氏 登場。
小田さんと彼の走れコータローのヒットの裏話や音楽について
話す。

続いて、歌のゲスト
斎藤哲夫氏が登場。
彼の演奏が続く、

続いて、オフコースの演奏。
「恋人たち」「雨の降る日に」を演奏。

ゲストにコーヒーを運んでいるのは、イルカ。
イルカとオフコースは仲が良かった。
イルカをよんで、「春」を歌う。
イルカ 「 いままで、私の歌を誰かに歌ってもらうなんてことはなかったの
だからすごく感激しました。」

続いて、次のゲストを迎えるためにオフコースの二人は歌いだす。
かぐや姫 ひとりきり をうたいだすと、
南こうせつがでてくる。
かぐや姫の解散後だったので、かぐや姫の話やその前の話など
こうせつは、饒舌でオフコースは煙にまかれる。

続いて、オフコースの演奏。
「 水曜日の午後 」
「 白い帽子 」 
「 幻想 」
「 老人のひめごと 」 
「 青春 」

最期に会場のみんなとこの会のテーマ曲 「 小さい部屋 」
を歌って終了。

感想、実にほのぼのとしている、ゲストがすごいね、イルカがコーヒーはこばせる
なんて、だいそれてますね、
オフコースの小さい部屋vol.2
1975年4/27日曜日2時開演
おかえりなさいじろーちゃん、
※杉田ジロー。
1946年11月2日生まれ
京都府出身。立命館高校から立命館大学文学部。
1967年ジローズ(一期、アマ)。その後「あなただけに」でEMIからデビュー、オフコースと同じ会社、
その後、はしだのりひこらと「はしだのりひことシューベルツ」を結成、「風」などをヒット、その後再び、
ジローズを結成(2期目、
森下次郎と)、伝説の歌。
「戦争を知らない子供たち」の作品を世に出し、時代背景ともに、ヒットする、
オフコースとの出会いは彼らがデビューした時の事務所を辞めたときにジローの会社に入った

小田さん。「こんにちは、今日はジローちゃんがむこうで張り切ってまってます・・・それでは2回目の小さい部屋をはじめます・・」
最初にオフコースの歌から始まった。
「青春」
「恋人たち」
「老人の秘め事」
続いて歌いだしたのは「彼の微笑み」の替え歌・・

ジローチャンの登場。彼のトークと、会場との質問などわきあいあいとすすむ、
彼の友人である、「トランザム」が登場、
「何もいわずに」
「I LIKE MUSIC]
[僕の町からとうくをのぞめば」
「27歳」
演奏し、トランザム退場。
※トランザムはなんどもVO.がいれかわり、この当時はチト河内さんだったのだろうか?ああ青春や、俺たちの旅など、コークの歌などもよかったですが、この当時はいろんな人たちがクロスオーバーしいい時代といえます。(べんとうや)

ジローとトークがつづく。
このあと、Lpをまだださないかどうかという話。。

新曲としてあの名曲
「ワインの匂い」がはつに披露される・・

オフコースの小さい部屋vol.3
1975年6月8日
2時半開演
みつはしちかこさんをむかえて
みつはしちかこさん
漫画家1941年生まれ。
1970年だいに大ブームをおこした少女漫画家、
「ちっちとサリー」
当時の女子中学生の心情を描くのがうまかった。
「ハーイ、あっ子です」
「小さな恋の物語」など、
僕の姉も周りの人間もよくよんでてなー


オフコースが、何曲かうたい、みつはしさんのインてビューをおこなう、
※今思うに、オフコースのファンとみつはしさんのファンバッテイングしちたとおもわれ・・

話の後は、みつはしさんの絵と、イルカの語りによる物語が上演されて、いく。
オフコースの小さい部屋vol.4
1975年8月17日
2時半開演
フォーク史をたどる、
会場 2時半。音楽が流れる「 倖せなんて 」(ワインンにおいLP)のカラオケが流れる。

スクリーンが現われ。レコーディングのシーンが写される。

小田、鈴木 ピンスポットを浴び、登場。大きな拍手。

小田 「 みなさん、こんにちわ、オフコースです。この小さな部屋も、もう4回目を迎えます。
  今回のテーマは、フォーク史をたどる。です、よろしくおねがいします。」
鈴木 「 それでは、ゲストひとり目の紹介であります、石川鷹彦さんです。」

3人で演奏をはじめた。
まず、オフコースのアマ時代のなくてはならない曲
「If I had A Hanmmer」

石川氏がバンジョーを弾き 2曲目は 「 PUFF 」

そして、3曲目。ブラザース・フォーの [ Seven Daffodills ]
続いての演奏は
ボブ・ディラン [ Blowin'in the Wind ]

やはり、彼らのとっての音楽のルーツは PPM ボブディラン。

「 悲惨な戦争 」PPM
「The Times they are a Changin'」ボブ
「 Jane Jane 」PPM
PPMの歌は、モダンフォークといわれ、ボブは、古典的なフォーク。
その後から出てきた、
パパス&ママスの歌と、サイモンとガーファンクルの歌を歌い、アメリカフォークの流れを説いた。

[California Dreamin'] パパス&ママス
など、次々に演奏を3人でしてゆく。
石川氏のうまいギター。オフコースとの絡み。実に会場は盛り上がっていった。

「 今日の日はさようなら」 を会場の人々と歌い、一部は終了。

小田 「 それでは、2部の開始です、一部ではアメリカでのフォークの流れを演奏を中心におこないました、2部ではあらたに日本のそれらの影響と流れをあらたなる、ゲストを交え、展開してゆきます。
それでは、二人目のゲスト 新田和長さんの登場です。」

拍手とともに現われた新田さん。後々彼らと運命をともにする、ファンハウス独立のときのリーダー。
彼は、その当時は東芝EMIのプロヂュサーになっていた。オフコースの担当の武藤氏。
彼らは早稲田大学でザ・リガニースを結成。その流れでレコードを売る会社にはいった。彼らの柔軟な頭脳、新しい感覚などが、東芝EMIにおける全盛期を迎えることになる。(余談)

ところで、話し変わってその当時1975年に彼らオフコースのすごい活動であった。
このミニコンサートを4回やり、、秋ゆく街でリサイタルをやり。
LPも作った(ワインの匂い)。1975年といえば、余談ながら、吉田拓郎達が「フォーライフ」を作った年であり。
つまごいでかぐや姫とライブをやった年。

新田さんの登場とともに、スライドが用意され、画像とインタビューテープが会場に流される。

ひとり目は、五つの赤い風船の 「 西岡たかし氏 」
 談 「 ぼくは、コピーからはぃたいんじゃあないんですよ。自分の好きな音楽をやっていただけ。
当時は、岡林も高石友也も中川くんもみんな、コピーからはじめた・・それから当時は、フォークは
反戦の歌を歌うことがあたりまえ、当時はプロはいなくてみんな、アマでした。音楽をなにかの運動の
ためにする道具としていたので、純粋に音楽をやっていたというのは少なかった。
いまのは、どういうわけか、歌謡曲。全部とはいいませんが、フォークというスタイルでファッション化している。

余談として僕が憶測で述べるに、吉田拓郎は批判にさらされていたり、歌謡界に曲を出したり、襟裳岬、
など、時代がこの年のベトナム陥落により、反戦歌の使命に終焉がきて、フォークソングの行き所が
「生活」「愛」などの日時用になろうとしていた大きな時代転換のときで、西岡氏はそういう変化に
きずかず批判していたのだろうかとおもう。

その次のインタビューは  「 加藤和彦氏 」
語弊があるけど、東京はかっこよく音楽をして、僕たちが学生でいた京都ではより、音楽的であったりして、僕が学生のときに北山修らと、アマでフォークルをつくってときに、東京のひとびとはレコードを出し始めた、そしてマイク真木さんの「 バラが咲いた 」 で決定的なヒットがでて、
京都でもレコード出さないか、という話がでてきてわけです。
それで、フォークルは記念にレコード出してそれで解散するよていだったの。

レコード会社があるとする。二つのグループがあり。一つは音楽的に内容はひどい、が、すごくレコード
売れる。もう一つは、音楽的には申し分ないが、まったく売れない。
端的に考えれば、売れるほうしかやらないだろう。商業であれば、しかし、音楽とすれば、だめだ、
いま、そういうこともあって、自分たちでレコード会社つくろうというのがあるでしょ、
拓郎がフォーライフをつくったのもたいへんいいことだとおもう。

でもね、裏を返せば、自分たちが管理する立場になると売れた枚数のこととお金のことも考えてやらないといけなくなるわけ、そのぶん、何か犠牲を強いられる。

新しいことをやる上で、面白いけど、路を切り開く使命感というんもあるしね・・」

余談であるが、拓郎のフォーライフは8億の赤字を翌年計上。
翌年にオフコースは、オフコースカンパニーを創立。

「 あのすばらしい愛をもう一度 」北山修作詞加藤和彦作曲。
この歌のプロデュースが、新田氏であった。
新田氏 「 今のテープを聞いてると、西岡さんはレコード会社を利用してないで、加藤君は
自分たちでやると商売のことも考えてやらないとだめ、その点、レコード会社は自分たちの変わりにそれをやってくれるような。・・
レコード会社はタレントということばがあっても、アーチストという言葉はなかった。
北山修さんあたりから、レコード会社とアーチストの対等な関係ができつつあった、とおもう。」
フォークの歴史といってもいろいろあるし、一貫して最後までやるという人は少ない
だから、オフコースはずっと、やっていてほしいわけ、これだけのバンドは他にない。」
新田氏の話おわり、

続いて、スライドには、アフロの吉田拓郎。
吉田拓郎の話。
 「 俺が東京に来た時は、とにかく岡林がすごかったんだ。神様とか教祖さまとかいわれていたんだ。
スターだったんだね、僕はね、もともと歌手になるつもりなかった、
河合楽器に就職がきまっていたんだ。ピアノを売る予定だったんだ。
でも、それを蹴って、東京に着たんだ。エレックは、たいへんなところだったんだ。
俺をスターにしようとおもったのだろうけど、自分のレコードを自分でレコード屋に
売るに行くわけ。どうやって、売るのか、どうやって、飯をくうのか、そこが問題だった。

歌の中にメッセージを織り込むということは、ものすごくたいへんなことなわけ、
パターンはかわっても、いまでも(1975)でも、それはメッセージはあるわけ、ようすいも
そうだ。ただ、アジテーションというのがなくなったわけ。岡林とか初期の泉谷のような
ものとか、ぼくの 「イメージの詩」みたいなものとか、アジみたいなものが即メッセージという
そういう捉え方は、今もうないと思う。
ボブディランでも変わったし。歌は内的にかわっていってる。
以下略」

次は、赤い鳥の 山本俊彦氏

「 たとえば、拓郎が出てきてソロでギター一本でうたおうが、フルバンドでうたおうが
ファンにとっては、どちらでもいいわけ、拓郎という個性があれば、音楽をやる上でその個性は
い一番大切なもの。」

後藤悦治郎

「 赤い鳥をやっていたことは、フォークというものが、ギターのチューニングがえきない、
コーラスができない、そういう時代でもあったわけ、だから僕たちはようし、きちんとやってやろうと
PPMのセンスで育ったものがコーラスをやるということがたのしかった。」

南こうせつ

「 高田渡さんとか加川良さんとかすごいメッセージがあったでしょ。それがすごい受けてた。
彼らもいいちころいっぱいあった、一つの勉強をさせられた、
ただきれなだけじゃ話にならんと、何かひとつ、アピールする。
メロディーとか詩を越えた、魂というものが必要じゃないかと、悩んだ。
正直、流された部分もある。
初めのかぐや姫は。完璧に、流されました。
僕なんかぜんぜん存在しないで、僕らを利用して儲けようとした
感じの人が、
うようよいたね、」

そのあと、新田氏の話。
そして退場。
オフコースは最後に、オリコンで一位なったフォークの詩をメドレーとして歌う。
結婚しようよ
心の旅
学生街の喫茶店
神田川
わがよきともよ
22歳の別れ

そして、これからブレークするひとにインタビューということで
荒井由実さんが登場。
「曲を書く人の思考性として、自分をモロニ出してゆくひとと、
いろんなタイプの曲を趣味と関係なく表現してゆく人と二種類いるとおもうのです。
私は後者のほうです。
自分のLPは、本音は半分くらいであとは、商品的な意味で書いている。
それを業界の人に聞いてもらい、いろんな人のオーダーがくるとうれしいだろうな。」

最後にオフコースが自分たちの新しいLPのうたをうたい、閉幕となった。


感想。このコンサートの中でも変化してゆく音楽の世界を感じます。
ユーミンの発言は、実現となり、この天才ユーミンの活躍はだれしもしることです。
拓郎が一番すごい時代で、彼の発言は深いです。

オフコースもまだ、売れることもなく、
友人たちがどんどんさきをゆきます、
しかし、この会場でもこころみは、すばらしいものでありました。