1979年12月1日。オフコースのシングル、 歴史的なシングル。 さよなら が発売された。
冬の時期に、またしても、愛を止めないで のような、小田さんの詩的な物語である。
この歌は、小田さんの高音のシャウトがすごい、のけぞる、ラブストリーは・・でもかなり、
シャウトされているが、あの声をいまだすのは、つらいと彼はいう。
1970年にデビューして、やっと、大きなヒットをだした、およそ10年である。
彼らは3人から二人そして、5人になり、コンサートではじわじわ人気をあげ、熱狂的な女性ファンが
10代を中心に広まり始めた。この秋にでたスリーアンドツウ、のLPでは入っていない歌であった。
このLPもすごい完成度が高い、小田さんはあまりこの歌が好きでないらしいが、この歌がなければ
武道館動員数の記録はでなかったであろうし、解散もなかったのかもしれない。


ぼくは当時高校三年のときであった。
中学時代は、勉強せず、鉄道や、SLが好きで、ぼーっとしていた。
深夜ラジオから流れるいろんな曲をききながらよふかしをしていた。
愛を止めないで、ぼくの愛も止めないでのページを読んでくれれば判ると思うが、当時、ぼくはまだ
証拠にもなく、みゆきちゃんをあきれめていなかった。
高校はいわゆる工業高校で、とてもじゃなくて進学などできなかった。
しかし、中学の時の屈辱と、ずっと好きな初恋の女の子がもっとランクの上の高校に行き
自分も大学へいくと心のきめ勉強に励んだ、あるリベンジであった。
夢のなかで、互いに大学生となり、たのしい学生生活を送ることを夢見ていた。

寒い冬の朝。ポストの中にでかい封筒が・・・

「 やったあ!合格だ!」
しかし、みゆきちゃんは、
大手銀行に就職・・・・がくっ。なぜだ!彼女の意思はまったくわからなかった、しかし、ぼくの友達は
みゆきちゃんが手をつないで、マフラーをおそろいで歩いていたという現場をわざわざ自転車をとばし
報告にきていた。深夜、ぬかるみの世界の番組を聞きながら、自分もぬかるみにはまっていた。
同じ大学生同士で・・と夢ははかなく消えた・・

寒い夜に、ラジオからながれてきたのは
オフコースのさよなら。だった。

小田さんがぼくにいった。
「 もう、終わりだね・・・君がちさく見える・・♪」
いまでも、この歌を聞くと、3年間、無理して勉強したことと深夜ラジオのことと
オフコースのことと、みゆきちゃんのことを思い出す。

はれて、大学生活に入り、汚い安いぼろい下宿にぼくはいた。
先輩が、ふすまをがばっとたたく。
「 おさたに、オフコースすきやなー」
ずっと、聞いていた。ある夜、その先輩と隣の大学生と部屋で安い酒を飲んだ。
どうみても、三人、持てるわけがない。
「 好きな子。おらんのか?」みんなに先輩が聞いた。
「 いたけど、振られました。」 えええ、3人とも同じだった。
「 みゆきという、ロングヘアーの子です。」
偶然、3人とも同じ名前であった。

話がもりあがり、意気投合し、男同士の話が進んだ。

「 オフコース 、もう聞くのやめようか 」 ぼくはそう思った。なぜか、封印した。

はやばやと、みゆきちゃんはかっこいい男性と結婚した。
ぼくは、楽しい大学生活を終え、某ファミリーレストランに勤めた。
3年ほどたち、神戸の店に勤務し、売店商品の「棚卸」をしていた、深夜である。
入り口の階段を上がるカップルがいた。べろべろに酒に酔っていた。

「 いらっしゃいませー 」 といって、ぼくがそちらを向くと。
「 あああ!」
「 ああ、」
みゆきちゃんだった、
「 ええ、なんで、ここにいるの?なにしてるの?」
ぼくは大学をでたあと、ここに入社したことをいった。まだ、おどろいた感じだった。

大学四年のとき就職を決めた時、ある友人がもらした。
「 なんで、そんなとこにいくんだ。皿洗いするのか?大学でて。・」
あのときのことが、一瞬頭をよぎったが、気にせず、どうぞ、といって席に案内した。

工業高校であるコンプレックス。
もてない男のコンプレックス。
そういうのは、すべて、さよならだ。

26歳の時にあの再会のあと、今までもう再会は無い。
そのほうがいい。

sayonara off course