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 オフコースは再結成されない、
絶対に無理だといわれている。
しかし、ぼくはあきらめない。
必ずもう一度、年寄りオフコースを
みれることを・・。長七
オフコースの歴史・・・
小田と鈴木の出会いから
オフコースは始まった。
まずは、小田和正の少年時代から
話ははじまるのである。


小田和正

1947年9月20日
横浜の金沢文庫の家で彼は誕生した。
家は有名な小田薬局。
母・きのゑさんは彼を早くから兄とともに保育園に預け夫婦で商売にあたっていた。
和正少年は兄に続いて私立関東学院小学校に入学する。
(父・信次さん談)
「当時戦後の自由な風が吹いていて、束縛しないで、子供が自分の中に持っているものを大切にしてあげたかった。
でも、悪いことをだけはしてはいけないという修身だけは、しっかり覚えさせたがった、
しかし、私はお店の経営でいそがしく一緒にいることがあまりできなかった、自分が信者ではなかったのですが、神様のお話を通じて道徳教育を受けさせようとミッション系の学校にいれたのです・・。」

小田和正ははつらつといききとした元気いっぱいの少年時代を送り、スポーツは特に優秀で、兄に影響され負けん気が強く、いつも活躍していた。
彼の生い立ちに深く影響しているのは家族の環境。きびしくもやさしい「愛」、そして神様の「愛」、
兄と遊びけんかし、もって生まれた負けん気など、後の人格のもとはこれらの環境によるものかもしれない。
三年のときからバイオリンを習いたいと自分から母親に言うが、商人の家に生まれてこなければよかったと、和正少年がおもうようになり母親は許可し、はるばる横須賀の教室まで通う、
しかし、五年になると家で練習することを止めだしたのであった。
先生に
「小田君はバイオリンを勘で弾いている。頭で弾くものでなく手で引くものです・・」とか、他の少年と比較されたり、楽しさよりきびしさをおぼえ、小学校を名門私学から通常の小学校に転校するという事件があったために・。バイオリンケースをもつことで他の少年にどう見られるか、など彼は習うのを止めたのである。

しかし、彼の中の絶対音律のようなものはおそらく出来上がり、楽譜を読めることやハーモニーを覚えることは役立ったろうとぼくはおもう。
はじめのいっぽというオフコースカンパニーの本に拠るものがおおいんですが、
小田少年の小学校転校事件は
言及の仕方が後のエッセイとはかわっている。
憶測であるが、ことがことだけに伏せたのかもしれない・・。



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osatani@osatani.com



学校の先生がおかしい・・」
和正少年が母親に訴えたとのちのエッセイにはある。こどもが言い出す内容ではない、しかし。どうおかしいかわからないのだが、担任も人間であるので
ノイローゼになることもあるかもしれない、
そういうことより、その話を信じてわざわざ母親が
名門私学から普通の学校に転校させたのである。
誰が考えてもわかるように、「いじめの対象」となるのは必然。しかも、一番の暴れん坊の小学五年である。
ぼくはここで小田和正がひとよりも先に「個人」というものはということを体験したのであるとおもう。
吉田拓郎が鹿児島から広島に小学時代転校した。
鹿児島といえば方言が強く、広島といえば平和活動のさかんでまた言葉が違うところ、そういう経験が
他のひととは違う「異質なる自分」と向き合い。
心情を培養するように音楽で表現する人物となるのだ。
小田和正の母親は転校予定の学校を訪ね、先生と幾度も話し合い、いい先生とめぐり合い転校したのだ。成績スポーツ万能な和正少年はすぐにトップの生徒を争うようになった。
しかし、和正少年は融通性があり、他のできる生徒の回答は模範であるのに、彼は自由な発想で次から次へと発想をし、それでもなかなかおとなしくしていたそうだ。ガキ大将にはならなかったのだ、
ぼそぼそと話し、しかし、みんなを見る力があり、統率力があって、みんなを引っ張ってゆく。
しばらくすると、ライバルだったトップだった生徒とどうしても勉強がわからない同級生に自分たちで問題を作り教えるようになったきたのだ。
家庭科の時間、小田少年は編み物で、最初からわっかのようなものを編み始め、休み時間でも止めず、家に帰ってもやめず、ひたすら夜中まで続け、
やっと、完成したのが「帽子」だった。そのうれしさのあまり帽子をかぶったまま、お風呂にはいったのだ、母親は大笑い。
しかし、そのクラスにも実はがき大将はいたのだ。
みんな長ズボンなのに、彼だけ半ズボン。どこかがおぼっちゃん、いじめっこの彼はことあるごとに和正少年をいじめた、何度いじめても決して和正少年は泣かなかった。和正少年をみて、母親は何度も何度も抗議して、いじめっこを怒鳴り散らした、いじめっこの家までいって、抗議し、いじめっこはこっぴどく母親にもいじめを注意された。しかし、いつしか、スポーツもできて勉強も出きる和正少年は4ヶ月ほどで主導権をにぎり、彼を子分のようにしてしまったんだ。と、いじめていた少年は当時を振り返り【初めの一歩】という本で述べている。
この経験も彼が我慢強き人間であり、
たとえば、後のタモリのオフコースさだ批判に対しての反撃をしないで、タモリの番組にワザワザゲストにでて冷や汗をかかし、「一度、のみに行こう」
と誘うぐらいのことをするのである。



小田さんのお母さんもおとうさんも
もう、亡くなられましたが、
この夫婦のすばらしき教育方針があってこそ、オフコースが生まれてきたとおもいます。ファンの多くが小田薬局や実家を訪ねても気持ちよく家に迎え入れお茶をだしていたといいます。

私的オフコースの音楽とあの日

ぼくのなかのおもいではあの時代のオフコースの歌とともに眠っていた。
ダンボールの中にあった、オフコースのLP、その段ボールを開けたとき
数々の記憶がよみがえる・・。



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 引用・・「はじめの一歩」サンリオ刊1983年オフコースカンパニー
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