(旧)すかいらーくの思い出 本文へジャンプ
137, 再びガストへ


2016年再び、ガストのバイトにいくことにした。

2015年、自分の店は息絶え絶え、資本もなく、夫婦ふたりでのりこえてゆくのはたいへん。一つ目の店の債務と、二つ目の店の債務、
そして、自分の目のレーザ手術などで、辟易し、
店を終わったあと、バイトを夜中までしてなんとかしのごうと考えた。

2016年震災の1/17 とぼとぼとぼくは
歩いていた、面接に行くために。
なんでまた、あんなとこに
辞めたのに
仕事のかんがあるからなんとかなる、
面接で落とされるか
いろいろ考えていた。
深夜の時間帯なんか、求人なんかこないのはわかっていたし、恐らく
人手不足は予想できた。兵庫駅南店だ、
再オープンのときを憶えている、今度は面接されるほうだ。
自分が面接する側のときは、どうだったか、思い出していた。
しかし、それとはまったく違っていたし、ポイントもずれていた。
相手も経験者と言うことで驚いていたようで、
「ぼくはね、すかいらーく最後の世代といわれているんです」
と、物静かに語った。30代半ばで、中途入社。
芦屋と西宮津門でばいとしていて、会社を辞めて入ったそうだ。
芦屋の店の話になり、野口さんの話になり
野口さんがなくなったという話を聞いた。
僕の最初の店に二度ばかり来てくれた野口さん、
がんになって亡くなったということ、いろいろあったようで、
その話を聞いていた。世間話というか、昔の話をして
ぼくは知らないひとだったか、
その後、常識テストみたいのをして、採用された。
「経験者、元店長ということはいわないでください」
懇願した。やりにくいし、いろいろいわれるかもしれないからだ。

と、いうことで、今度はバイト生活がスタートするようになった。