ぬかるみツアー

ぬかるみの世界は、夏にツアーという番組のファンのぬかるみんを集めてちょっとした旅にでた。一回目は、信貴山ツアー。1979年8月28日から一泊で29日まで50人ほどだったろうか、僕は高校三年だったが、当選し、参加した。

写真は、中村ゆきのぶさんで、彼は翌日から参加し、何曲か歌ってくれた、「時の流れに」「ページ99」

一晩中、ぬかるみんたちと話をした。ぼくの高校の周りにはあんまりぬかるみんは少なかったんで興奮しながら徹夜で話した。プロレスの技をかけてくるのがいて、閉口した。何人かとアドレスを交換したがそのままだった。本当に楽しかった。

ある事件がぼくにおきた。鶴瓶さんが、僕を見て驚いてるのである、新野先生にあいつの顔なぜか、おぼえてる、なんでやろ、不思議がっていた、鶴瓶さんは、まじでおぼえてるよーを、覚えていたがどこであったかわからないのである。ぼくは、答えをいわず、にこにこした。何度もスタジオや落語会にもいってるので、覚えたのだろう、僕は嬉しかった。大ファンの鶴瓶さんの脳のなかに僕の顔があるという事実。そして、一晩中話して、もう気分が悪くなり、翌朝の朝食のとき、ぼくは、一番前に座っていたのだが、メインのやきしゃけを残していたのだ。鶴瓶さんはちらちらと、僕の方を見て、残すんやったら、もらうわ、しゃけをはしでとり、自分の皿の上にのせて食べ始めた。驚いた。新野先生は笑っていた・。

ほんとうにいい思い出ができた。女子とは少しも話ができなくて残念だったが、鶴瓶さんとのことで、うれしかった。

次の年は、1980年。小豆島ツアーだった。僕は絶対行きたいとおもい、往復はがきを数枚出した。全部はずれた、番組でのことばをおもいだす。

「なんども、あたってるひとは今回は遠慮してもらう」あ、ぼくのことか・・・。まったくを・・。がっくりした。

そして、神戸港から小豆島に船が出た。

しかし、事件は起きたのである。鶴瓶さんが小豆島で「盲腸」になったのだ。そこで入院し、手術。ヤンタンもミッドナイトも全部おやすみ。ミッドナイトは兵頭ゆきさんがピンチヒッターだった。

ぼくのしゃけが腸に残っていたのだろうか・・。

つづく 2025/01/24

 

笑瓶さんが弟子入りされたのはこの時期だったと思う。鶴瓶さんは、当時ファンから多くの手編みのセーターをもらい、その服は必ず着ていた。

写真は ぬかるみの世界 パート2 サンケイ出版さんから