ヤングタウン

当時、番組でプレゼントされていた、ヤンタンバック。このバックとキーホルダー、ステッカーなどがあり、バックは最高峰のものであった。

ぼくは、ヤンたんバックを三個ゲット、キーホルダーも一つ。はがきや読まれプレゼントされた、現物はもうありません、学習塾やならいごとに使うバックです。高島屋から送れらてきました。バックが来るのはいつも遅かった。鶴瓶さんのヤン月ではほとんど採用されず、ヤンスイや、ヤン木でよく読まれた。ぼくのスートリーものは、角淳一さんがこのんで読んでくれた。

鶴瓶さんの月曜日は レベルの高いギャグ要素が必用だった。

鶴瓶さんは22時の放送の準備に昼過ぎから入り、面白い葉書を探すのだ。葉書こそが生命線であった。はがきの枚数が人気のバロメーターであった。

思い出すのは、セイヤング火曜日、鶴瓶さんが東京ローカルでレギュラーを獲得。しかし、知名度はなく、最初のころのはがきは5枚から7枚。その中に僕のはがきもあった。一方ヤンタンは、人気がすごく、下手をすると何万通と来るのである。それをすべて目をとおすのである。

しかし、もう枚数が多くなった時、鶴瓶さんは 面の宛名と差出人を見て選別しだすのである。

面白い葉書は面白い奴が出してくる。この鉄則のもと、たとえば、僕が40数年間覚えてるペンネームは

本名でもあった、高下隆、彼とはその後知り合いになった。いまはもうしりませんが・・。みかやんナンバー1からナンバーなんとか

このみかやんというのは、一体どこのひとなのか、高校の名前なのか、友人同士か、もしくは、ぼくがいた学校もみかやんだったので、先輩だったのか

わからなかった。続くのだ

ここまで「2025/01/23」記す