2025年9月25日
新野先生が亡くなった。90歳。昭和10生まれ。僕の両親と同じ年。
新野新をウイキペディア参照
新野 新(しんの しん、1935年〈昭和10年〉2月23日- 2025年〈令和7年〉9月25日)は、日本の放送作家。
大阪府大阪市出身。1973年放送作家集団「ペン企画」代表。心斎橋大学総長。独身。大阪市在住。
実家は氷屋。早稲田大学第一文学部英文学科卒業[1]。卒業後は東宝テレビ部に入社。演劇、見世物などのショーの興行も行っていた北野劇場に入り、演出助手を務める。その後は演出を務める様になり、金井克子、ミヤコ蝶々他 出演のミュージカル『0の街』の演出・脚本などを手掛けた[1]。1960年代中期頃から、テレビのコメディ番組の放送作家として活動する様になり、関西を中心にしたお笑い、バラエティ番組を中心に放送作家として活動。後に東宝を退社。
ラジオ番組のパーソナリティを初めて務めたのは1966年スタートの『オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に』(ラジオ大阪、土曜日)で1968年まで務めた。この時から「チョチョまう」などの独特の言葉を番組中で発していた[1]。その後は1978年に放送開始した、ラジオ大阪の深夜番組『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』のパーソナリティで脚光を一躍浴びた。それ以後はテレビ番組の司会、コメンテーターとして活躍。
放送は、特別番組を12月21日(日)、深夜24時された。
鶴瓶さんは、ヤンタンを生でやり、もう西梅田ではない 弁天のOBCに弟子たちとつき、
生放送された。
冒頭の奥さんに「あまりはがき読むな、あんたは読むの下手やから・・」言われた。
と、あった。ぼくは、放送を聞き驚いた、昔のラジオ放送の元気あるしゃべりだった。
僕は当時、高校生二年の春だったと思います。
「鶴瓶さんの新しいラジオが始まる」
という話を聞いて、是非とも聞かなあかん、と思い、聞き始めました、
一回目の放送は、120分テープに録音しました。
当時僕は、深夜放送ラジオのファンで、毎晩毎晩3時か4時までラジオを聴いてました
。
鶴瓶さんの大ファンでしたが、当初は新野先生のことは知らなかったです。
第一回目のティーチインに参加しました。
戦争が起きたらどうするか?とかいう話とかあったような気がします。
ぼくは高校生だったので、意見をいう度胸もなく、静かに聞いてました。
鶴瓶さんがにこにこして、話を聞いていたのが印象的でした。
高校三年のなつに、第一回のぬかるみツアーがあり、信貴山に行った思い出があります
。
一晩中、ぬかるみんたちを話をしました。
鶴瓶さんのラジオを聴いていて、ぼくも京都産業大学にいこう!と、
大学になんとか合格し、下宿でぬかるみの世界を聴いていると、先輩も聞いてました。
ぬかるみを聞いていた、関西に行きたかった、
そういう人間が大学にはいました、
ぬかるみんは自分の人生まで影響を受けていたのです。
鶴瓶さんが、何千通の封書を徹夜で読んで、しんどい話も、長い話も、どうでもいい話
も
読み上げて、放送に準備をされて、一生懸命、この番組に取り組んでおられたのは
すごいことだったと思います。
AMラジオの電波が、亡くなるという話、とても残念です。
あの、雑音、ふゅーとか、ざー、とか、音が大きくなったり小さくなったり
鶴瓶さんのミッドナイト東海を神戸から必死に聞いてました。
日曜日の夜は、AM電波が聞こえやすくなる。
それは、半島のラジオ放送、それぞれと、それに対する妨害電波、
さまざま放送局のノイズ。日曜日の夜だけは一斉に静かになる。
そのおかげで、西梅田のOBCから全国まで電波が届いたんですね。
それが、全国縦断ぬかるみん。これも感動して聞いてました。
みんな、ひとりぼっちの夜中に、さみしいもんです。家族も寝て
スタンドのあかりだけにして、イヤホーンで、聞くんです。
鶴瓶さんが、ぬかりみんからの封筒をとりだし、便箋をめくる。
鶴瓶さんの読む封書、新野先生のあいづち、
ふん、ふん、そうかいなー
このひとりぬかるみはまさに、昔のような感じがしました。
いまのヤンタンでは、もうなんか疲れて声も出ないような放送を若い人とやっていますが
このときは若い声にもどりました。
鶴瓶さんが、関西のラジオスターから、全国のスターになる足がかりになり
上岡さんとやりだす、パペポテレビも、この番組が元になっていたと思うわけです。
個性をだし、人間性をだし、さまざまなことを話す。そういうことで人々がよってくるわけです。
鶴瓶さんの弟子もみんな、西梅田のOBCで鶴瓶さんの出待ちをし、弟子入りを果たした。
ラジオからテレビへ、関西から東京へ、全国へ、鶴瓶さんがスターになるひとつの階段の
踊り場のようなものが、「ぬかるみの世界」でした。
新野先生の報に話を戻すと、彼の仕事は関西の芸能、お笑いなどの仕事、初期のころの脚本台本作家でした。
ミヤコ蝶々さんの舞台や、美空ひばりさんの仕事など、貴重ないまとなっては
知る由もないことばかり・・。

昭和の芸能史を綴る記録資料としても貴重な本。
そういう新野先生のすごいところは全く触れないで
鶴瓶さんの放送は感動と、思い出を残し、おわりました。
新野先生、ありがとう、
OBCありがとう、がんさんありがどう、中井社長有難う。