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127. 夢野 36


いよいよ、最後が近づいてきた

ほんと、我ながら記憶のすごさに驚きます。しかし、だんだんと、忘れてきています。
忘れた方がいいのかもしれません

秋前のころに辞めたいといってもなかなか決まらなかった、まあ、冬のボーナスを貰ってからの方が助かりますが、
福久君が送別会をするといって
あちこちに声かけて、すくないながらも
メンバーがあつまった。大川原さんもわざわざ東京から来てくれた、仕事が出来ない俺を相当おもってくれたのだ
『もったいない』
とひとこと、それだけですが言葉に救われた
最後の日の数日前から、店の電話はあちこちの店長、社員からの電話だった。
思い出話と、もう、仕事にはなりませんでした。
寺坂さんからの長い電話はほとんど聞いていませんでした。
後に寺坂さんはがんばって、西日本営業本部長まで出世したのは、本当に嬉しかった。
最後の引き継ぎの日。
フロアーで、メンバーの棚卸し引き継ぎをした。ひとりひとりのことを考え
彼らをどうすべきか、綿密に書いた。
それを話していると、また、電話、今度は大橋さん、
そして、今度は、何を思ったのか、ぼくの天敵
衛生検査が入ったのである。
店長引き継ぎの、ぼくが最後の日。
衛生検査の危険項目が発見されて、日付オーバーなので
「部長に電話します!」と、検査人は言い出した。そして、休みの社員も呼び出され
まあ、その社員に全部お任せのぼくがわるいのだが、
そのうち、部長まで来て大騒ぎになった。
最後の最後まで、
佐伯部長には大迷惑をかけ、ぼくらは引き継ぎをし、オーナーさまに挨拶。
近隣店舗に挨拶。そして、デニーズにも挨拶にもいった。
デニーズが出来て、売り上げが落ちました
と、オーナーにも報告した、実は両方ともおなじオーナーである。
『離れていてもでますか?」と、オーナーさんは驚いていた。
車で走れば五分です。24時間をやられれば、3時の店は客数落ちます。
デニーズの店長に挨拶にもいった。
おそろくべきことに、もう一人ネクタイをしたひとがホールを監視している。
よく見れば、ぼくが伊丹瑞穂にいたときの車塚の店長だった、彼は出世していた。
やはり、デニーズもわけのわからない客の対応に苦慮していた。
「何回も殴られました」そう、店長は言う。
話を聞くと、いつも席でおしっこをもらす女の人が居て、いつもは注意するのだが
そのときはたまたま忙しくて、席がそのおしっこでべちょべちょで
よりにもよって、そこに柄の悪い893風のおっさんが座り、激怒し
ぶんなぐられたそうです・
警察も呼んで大騒ぎになったと、店長は元気なさそうに話をしていた。

引き継ぎがおわり、翌日は店長会議で、よく考えれば出る必要はさらさらないのだが
送別会をやるので、佐伯部長がこい、という。
そして、いきなり、会議で、ぼくに話をしてくれ、という。
ぼくは、何を思ったのか
「辞めさせてくれてありがとうございます、夢であった商売を独立してやりたいと思います、みなさまには大変お世話になりました。」と、わけのわからないことを言った。
ことあるごとに、佐伯部長は話をぼくに振ってくる。
あの藤沢君が、いろいろ悩んでいる、店長としてどうのこうの。
この質問に対して、きみはどう思うか、またしてもぼくに振ってくる。
佐伯部長は、ふじさわくんは、きみを一番尊敬してるといってる。
どのようにしたら自分を帰れるか・・・。
ぼくは、なにをいってるのか、わけのわからんとこと・・。
彼の女性問題のことでは何回も頭にきていたので、
「人間の本質はかわりません、かえようと、思っても変らないのが自分です」
といった。
部長は
「それじゃ、まったく答えになっていない」と反論。
わかっていないのは部長だった。
愚かしいのは自分で、自分の店はなんでこうなんだろう、と、悩むひとは
すくない。仕方ない、誰かのせいにするのだ、それで逃げるのだ。

なぜに、最後にこの話をするのか、

「人間は自分では本質的には変えれないのだ、だから、仕事の環境を変えてあげるのだ。異動は比喩的なことなのだ」

最後の最後。
会議も終わり、送別会も二回終わり、
店にいた。19時までFK各一人営業の社員なし
すこしやばいスケジュールで、心配だった。
ふと、声が聞こえた気がした。
「もう、心配なんかせんでいいの」
ぼくは控え室のりーさんが、待機しておくといってくれたので、静かに鉄扉をしめた。
ネームプレートは記念にあげるわ、と、りーさんにあげた、彼女には世話になった。
店をそれで去った。ぼくのすかいらーく人生は終わった。
マンションに帰り、引っ越しの準備をしていると、
夢野のバイトのみんなが花束をもって、贈り物をもって来てくれた
「店長、お疲れ様でした」
涙が出そうだった。
しかし、まだまだ、話は続くのだ。