(旧)すかいらーくの思い出 本文へジャンプ

135, 北羅さんに捧げる


2022年 令和4年またしても訃報が届いた。

山陽四国事業部の名物店長だった、よくしゃべる、ひとだった。

コロナ、第6波がきそうな、一月、SNSであちこちの
OBたちや社員のひとからメッセージがきた。
「北羅さんが亡くなった」
なんともいいしれぬ気持ちになった。
僕個人は同じ店で働いたことはない。入社してすぐの佃店で、よく店に来だしたのだ、それは、社員の池田さんとどこか遊びにゆくので、来るのであった。同期の田上や、福西は研修の豊中山の上でよく知っており、おそらく、入社は豊中山の上、ぼくよりも一年すこし先輩のようだった、中途採用らしく、東天紅から転職したとか、三国で移動に也、大崎さんのフロアー研修時代のこと、わるそうな客に、大崎さんがミスをしたらしく。
北羅さんは「申し訳ありません」と謝罪、レジの前にある、コイントレーで頭を叩かれた、
と、笑っていっていた。
ぼくが佃を抜けた後、三国から2番手として、今津さんが異動したあと赴任、
そして、一年ほどで今度は須磨、朝霧と異動。
ぼくは、それらの異動で、売り上げの高い店ばかりの異動で、たいへんであるだろうとおもった。
店長になったのは、たしか、東加古川だったとおもう。
そこから、また、須磨、売れに売れてるころの須磨。
そして、今度は三宮店になった。
三宮はいい店になっていた、北羅さんは、この店のランチはいつからこう言う安定してるの?と、聞いた、その話をぼくにしてくれた、おまえがかえたんだってな、
ぼくは、いやいや、高見さんのおかげですよ、、もう欠員ばかりだったんですよ。
人が来ないのでは亡く、新人をいじめてやめさせるんですよ、
そういう話をした、が、その三宮は、オーナーがホテルを建てるというので閉店になった。
人を見る目があり、また、コミニケーション能力は高い人だった。
ぼくが、新店に決まったとき。
「メンバーの福久はつかえるよ、よくできるよあいつは・・」
そういってくれた、たしかにそうだったし、いまも要職についてるらしい。
三宮が無くなって、そこから、新店プロモーター兼ヘルプ回りになった。
名谷、そこから、姫路の新店、そして、
西宮北インター店の新店舗の店長にきまった。
田舎の、なにもないところで、正直、うれるかどうかわからない立地だったか
開けてみると、とんでもない客数をはじき出した、
よこにマクドナルドもできたのですが、共用の駐車場を食いまくってしまい、嫌みをさんざんマックにいわれ、誘導もしないのか、といわれ、泣く泣く、エリアマネジャーが自ら
誘導していた。いまの社長の大川原さんである。
しかし、スパルタンで、営業力のある北羅さんには、社員たちもなかなか、ねを上げて
北羅さんは不満であったようだ、そして、きまりごとにように、売り上げは落ち続けてしまい、ひまな店になってしまった。
先行して、ガスト転換してなくて、北インターはしばらく、すかいらーくのまま営業を続けていたが、とうとう、ガスト転換になり、研修を僕の店ですることになった。
研修と言っても店は安定していたので、リーダーの市川さんに聞きまくっていた。
ぼくらは、不安定のナイトよりのシフトだったので、あまりあえなかった。
しかし、ぼくにこういった
「市川さん、いいよね、あのひと、ほしいは、あんなひといないよね」
さすがだった、リーダーを育てたり、その目はよかった。
くせのある準社にはあまいところもあったが、
その後、なぜか、静岡のほうに異動ということなった。
そのあたりで、ぼくが退職をした、その話を聞きつけて、ショックだったらしく
長い長い電話をしてきた。
とにかく、北羅さんの話はながかった。
あるとき、姫路から会議のかえり電車で話をしていたが、ずっと、話をしていたのを
憶えてる。

辞めたあと、情報ははいらないが、鳴門のほうにいると、聞いた。
ずーっと、店長をやっていたんだろうか、

肺機能がよくなく、若い頃無理したせいか、たばこか、
年明けて、体調を崩し、離婚していた息子さんに看取られて亡くなったそうだ、

ぼくは、どういう経緯かわからないが、ショックだった。

定年まえまで、ずっーと現場で、そういうの考えられない。
入社したころは、誰もが最後まで現場でてんちょうするなんて
思うだろうか、
ひどすぎないか、
ファミリーレストランで、働く人々は自分や家族を犠牲にして働く、
ひとの幸せのために、自分の時間を削り仕事する、それがいいともいうひとが
いるかもしれないが、そこまでさせる必要はあるのだろうか
いくら、余裕のない会社でもおかしくないだろうか、
40年近くも現場で汗水流して働いてみればわかる、
なにを刺激に、なにを目標に、なにを楽しみに
働くのか、そこに反省と成長はあるのか、

同期の井上君もそうだ、ひどい店長になっていた。
本人が悪いのか、本部が悪いのか、指導するやつが悪いのか
業績の良い人間が評価される、それは当然にことだろう、
しかし、業績を出せる人はすくない、要領よくうまく立ち回れる人
運がいい人、そういう部分が大きい、
組織がでかくなればなるほど、その裾野は広がる。
定年まで現場でいることを希望し、がんばるのも道かもしれない。
しかし、北羅さんが急死したことは、彼の健康管理と体調のせいが主な
要因だが、そこに、なにかないのだろうか、
夢のある仕事だと、思っていた。
ああ、いやだいやだ、と思いながら働くのはよくない、
しかし、なぜにして、いやだいやだと、おもわせるのであろうか

北羅さんは、いろいろと借金もあったらしい、個人の名誉として。
ここでいうのはよくないが、
それでも、そこまで、働くのは、ひどくないか、
看取った、息子さん、その人生はどうなんだ、
先日亡くなった松田さんの別れた娘さんは
ほとんど、父の記憶が無い、とも、言っていた。
それが、家族か、
ファミリーレストランを働く人々に幸せを感じられるようにしてあげてほしい。
ああ、今仕事してて、よかった、
続けて、よかった、
そう、思うことが大事で、そう、思わさせることが大事。

北羅さん、ゆっくりと、休んで下さい。
息子さん、こんな生活をさせて、ごめんなさい。

本当に考えさせられることだった。