25枚目
愛よりも
ロゴもかわる。
「愛よりも」は作詞は大間松尾、作曲は松尾でおこなわれた。
最高二位まで上昇した。。 |
1984年4月21日
二年間の活動停止のあと、シングルがアルバムの先行として発売された。
フジテレビ系『オレたちひょうきん族』
「ひょうきんベストテン」に第1位でメンバー全員が出演、レギュラー出演者も参加して「君が、嘘を、ついた」のプロモーションビデオ・プレミアム鑑賞会が行われた。
TBSベストテンのスタッフは悔しがった。
木村史郎がミックスダウンを手がけたがアルバム収録に際しビル・シュネーが再度ミックスしたため、「君が、嘘を、ついた」はイントロでのドラムのフィルが異なり、イントロでのメロディーがキーボードのみ。全体的にエコーが少なくフェードアウトも約20秒程早い。W
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このシングルは東芝EMI「第二制作部」が分離独立して設立された新会社ファンハウスの第一回リリース作品だったが、当時はレコード販売業務がまだ東芝EMIだったためジャケットにはEXPRESSレーベルのロゴマークが付けられ、EPレコードのレーベルは同レーベルのデザインがそのまま使われた。
PV撮影も行われ
若き日の「かとうかずこ」が出ている。
横浜れんがそうこ前でのカーアクションもはいる。
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26枚目
君の倖せを祈れない
サンタモニカでの撮影。
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1984年7月18日に発売
「夏の日」は、アルバム
からのシングルカット曲で、アルバム収録曲と同内容だが、イントロのカウントが短い。W
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シングルリリース当時、この曲には初のアーティスト自身の発案によるプロモーション・フィルムが小田の演出により制作された。
『グローイング・アップ』のような青春ストーリーでメンバーの大間ジローが主演し、他のメンバーは主に演奏シーンに出演している田中美佐子が共演したほか、誘拐犯からの電話連絡を待つ家族のシーンに刑事役で西川のりおが出演した。カメラマンを務めたのは
栗田豊通で、今回初めて実際に映画で使用する35ミリフィルムが使われた。ロケーションには秋谷海岸にあるレストラン“MARLOWE(マーロウ)”が使われたほか、空港ロビーのシーンは実際に成田空港でロケが行われた。プロモーション・フィルムは最終的に8分を超える作品として完成した。制作に費やした日数は約2ヶ月。ラストを決めかねたため、ラストシーンの異なるものが3パターン作られた。W
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27枚目
CITY NIGHTS
アナログ盤のEPレコードの初回盤は、ライトグリーンのクリアビニール仕様でリリースされた。
まだまだレコードとCDが混在した時代で
レコードの発売であった。
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「緑の日々」は、アルバム
からのシングルカット曲で
、アルバム収録曲と同内容。この曲は後に小田がシングル「緑の日々」としてセルフカヴァーし、アルバム『LOOKING BACK』にも収録されたが、そこではエンディングに新たな歌詞が追加されている。
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PVには小田の演出でプロモーション・フィルムが制作され、『ロッキー』と『天国から来たチャンピオン』をあわせたようなストーリーで、メンバーの清水仁が元世界チャンピオンのボクサーを演じた。共演は清水の恋人役に高樹沙耶、店のボーイに扮した天国の神様役に武田鉄矢がそれぞれ出演。さらに、ボクシング・ジムでの清水の練習シーンにはトレーナー役としてエディ・タウンゼントも出演し、11分を超える作品となった。カメラマンは、後に小田の第1回映画監督作品
『いつか どこかで』にも携わる西浦清。
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28枚目
2度目の夏
1984年の秋、次のアルバム制作が予定されていたが、「シングルを2枚作ってコンサートをしよう」というメンバーの意向により、この時点でのアルバム制作はキャンセルされた。このシングルはその2枚のうちの1枚目。
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1985年2月21日に発売
「call」は、オリジナルアルバムには未収録で、ベスト・アルバム『IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III
1984-1987』に収録された。また、この曲は
ランディ・グッドラムによる英語詞に置き換えられて「SECOND CHANCE」と改作され、アルバム『Back Streets of Tokyo』に収録された。W
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「2度目の夏」で、オフコースに初めて歌詞を提供した秋元康はそのきっかけについて「そもそもの出会いはね、稲垣潤一のスタジオで。オフコースのメンバーもレコーディングに協力していたでしょ。松尾さんが曲を書いていたりと…」「稲垣潤一のスタジオをやっていた頃から、いつかオフコースにも詞を書いてくれ、っていわれたりしていて、『2度目の夏』と『LAST
NIGHT』のころから、書き出したんです」と、1985年秋のファンクラブ会報用のインタビューで答えている。W
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29枚枚目
LAST NIGHT
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1985年5月22日に発売。
「たそがれ」は、オリジナルアルバムには未収録で、ベスト・アルバム『IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III
1984-1987』に収録された。
この曲は、アルバム
『Back Streets of Tokyo』に収録された「ENDLESS NIGHTS」の日本語ヴァージョン、ここではランディ・グッドラム(Randy
Goodrum)による英語詞を小田自身が日本語詞に書き換えているが、コーダでの掛け合いのパートはランディによる英語詞がそのまま使われている。英語歌詞ができ日本語があとでできるのだった。
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30枚目
ぜんまいじかけの嘘
なぜか、わからないが
4人時代のシングルには「夏」が多い。
なんで?
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1985年9月21日に発売
この曲が制作された経緯について小田は「いつ決めたかは覚えてないけど、ステージやっててね、もう一曲くらいノレる曲があってもいいんじゃないかって思ったの。そうすると、ツアーの前半に来てくれた人はその曲は聴けないけど、次のツアーに来てくれる人が楽しみにしてくれたらいいなとも思ったし。そんなことで、急だけどシングル作ったらどうだろうって、みんなに提案したのね。そしたら、メンバーもみんなやろうっていうことで」と、1985年秋のファンクラブ会報用のインタビューで答えている。レコーディングはツアーの中休みにあたる8月中に行われた。W
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「ぜんまいじかけの嘘」もオリジナルアルバム未収録曲で、ベストアルバム『IT'S ALL RIGHT』に収録された。作詞を担当した秋元康はこの曲の歌詞について
「『2度目の夏』を書いた時は、今までのオフコースの作品をかなり意識して書いたんです。でも結局、僕がそれをやっても違うんじゃないかと思って…。だから
『LAST NIGHT』や『ぜんまいじかけの嘘』はオフコースとはかなり違うパターンで書いたわけ」「たとえばオフコースのサウンドに特殊な楽器を取り入れてみよう、というときがあるわけで、その楽器が秋元康っていう作詞だったというだけだと思うんだ。だから、そういう風に考える様になってから、オフコースってことを全然考えないで作っている。それで、新しい面が出てきたっていわれたら、一番うれしいね」と、同じく1985年秋のファンクラブ会報用のインタビューで答えている。最後のツアーとなった“STILL
a long way to go OFF COURSE CONCERT TOUR 88-89”ではこの曲の演奏時にイントロ • 間奏部 • エンディングの計3回、スクリーンに鉄腕アトムが水をくぐり、空を飛び回るシーンが映された。W]
秋元に依頼し、片面に入れるパターン。
しかし、松尾の歌がいいとおもうし。曲は
松尾さんです。
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31枚目
「ENDLESS NIGHTS」、「EYES IN THE BACK OF MY HEART」両曲ともアルバム『Back Streets of
Tokyo』からのシングルカット曲で、アルバム収録曲と同内容。
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1985年11月30日二発売。 |
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32枚目
IT'S QUITE ALL RIGHT
「IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU)」はアルバム『as close as possible』の先行シングル曲でその後、ベストアルバム『IT'S
ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987』にも収録された。
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基本的な演奏トラックはアルバム収録のものと同じだが、間奏およびエンディングのソロはシングル・ヴァージョンでは松尾一彦によるギターが、アルバム・ヴァージョンではトム・ピーターソンのサックスに差し替えられている。また、アルバムではイントロとエンディングが長くなっている。
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33枚目
Tiny Pretty Girl
「Tiny Pretty Girl」も『as close as possible』からのシングル・カット曲で、アルバム収録曲と同内容。清水が持っていた曲のイメージを松尾が手助けする形で完成した共作曲で、ボーカルも二人が揃って担当しているほか、サビでは小田もボーカルに加わっている。
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フジテレビ系「なるほど!ザ・ワールド」テーマ曲,
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34枚目
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1988年一月25日発売
「君住む街へ」は
からの先行シングル曲で、アルバム収録曲と同内容。リードボーカルを作者の小田和正のほか、清水仁と松尾一彦も加わり、三人で担当している。
元々は前年のツアー中に制作されたしか四国の道を走るときにイメージしたとか、8月でコンサートのクロージングに使用されていた。その後、武道館公演最終日の模様を収めたライブビデオ『OFF
COURSE TOUR 1987 as close as possible』の巻末に収録されている。w
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最後のほうに英語での海外での夢の活動時期の空白をうめるべく、名作が発表された。
レコードバージョンとCDバージョンがあり、アルバムバージョンもそこしかえている。
PVも北海道で雪の中撮影された。
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35枚目
陽射しの中で
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1988年7月25日に発売
「she's so wonderful」、「陽射しの中で」両曲とも
からのシングル・カット曲で、アルバム収録曲と同内容。
ジャケットイラストはアルバムと色違いのものが使われている。W
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この曲は小田自身セルフカバーしておる
しかし、チャートは82位で
オフコースのコンサートでは
二階席も空白がではじめた・・。
英語バージョンに走りすぎたことと
時代が変貌しつつあり、
ほとんどの同時期のグループは
はやばやと解散をしていた。
以前から聞いていたファンたちも
年をとり、環境がかわる。家で聞く音楽より車で聞くものが増えたり、
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36枚目
オフコース最後のシングルは・・・
逢いたい
なぜ、「夏」の歌が多かったのか最後の四人時代。
もうそれぞれ、シングルを出したり
個人的な活動を増やしていて、
どこで解散するかというテーマの決め方が
むずかしかったのか・・
「夏」というイメージは
オフコースのことをいうのだろう。。 |
1988年10月25日に発売。
「夏の別れ」、「逢いたい」両曲とも
からのシングルカット。「夏の別れ」はアルバム収録曲と同内容。「逢いたい」はアルバム収録曲とはミックスの異なるバージョン。
「夏の別れ」は、後に小田和正がシングル「風の街」のカップリングと、アルバム『LOOKING BACK 2』にてセルフカヴァーしているが、そこでは歌詞が一部省略されているほか、リフレインが追加されている。
当初シングルには「昨日見た夢」が予定されていたが、グループの解散決定を受け「夏の別れ」に変更された。
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「逢いたい」の作詞を吉田拓郎が担当している。この経緯について清水は「以前から彼とは知り合いだったし、彼の書くハードっちゅうか、骨太な詞が好きだったんですよ。それで今回、僕の友人と『詞、誰に書いてもらおうか』って話してて、そのとき偶然バックに彼のビデオが流れていたんです。で、その友人が『彼に頼んでみたら』って言ってね。無理やろなと思いながら頼んだんですが、快く引き受けてくれまして」と答え、また「僕は別段、オフコース・カラーっていうのを意識したつもりはないし、また意識して作れるほど器用でもないですし。でも確かに今までのオフコースっぽくない作品だと思います。でも、この曲をオフコースのメンバーでプレイすることによって、それはオフコースのナンバーになると思うんです。いろんなぶつかり合いも出てくるとは思いますけど、そういう個性のぶつかり合いがあってこそ、バンドがバンドらしくなるんだと思いますよ」とも答えている。
その後、清水は松尾とともにレコーディングやライブにバックバンド・メンバーとして参加、シングル「男達の詩」[5]のプロモーションビデオにも出演している。
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