11枚目
恋人よ そのままで
このシングルからグループ名
のカナ表記が“オフ・コース
から“オフコース”
に変更された。
|
1977年8月5日発売
「秋の気配」、「恋人よ そのままで」両曲ともアルバム
『JUNKTION』の先行シングル曲で、アルバム収録曲と同内容。
「秋の気配」はベストアルバム
『SELECTION 1973-78』にも収録され、後に小田がソロになってからアルバム『LOOKING BACK』でセルフカヴァーした。W
先日の読売新聞で歌詞の内容が紹介。
よく僕もおもうのだが、
男の身勝手さというのが
あるね |
清水仁によれば、間奏でのベースのアドリブは小田に「何か入れてよ」とだけ言われて、それまで決まったフレーズを弾く経験しかなかった清水が戸惑いつつも必死に考えたものだという。清水は前シングル
「こころは気紛れ」からレコーディングに参加しているが、この曲で本当にオフコースの一員になれた気がした、と語っている。W
|
12枚目
思い出を盗んで
この歌のファンはおおい、
この歌は実は89位まで
ランクインしていたのだが・・ |
1977年11月20日発売
最高89位。
「ロンド」は日本テレビ系ドラマ「ひまわりの家」主題歌として制作された、鈴木康博のオフコースでの最後のシングルA面曲。
「もともと、母を語るには40 • 50歳になった頃の方が実感として分かるはずであり、それまでは母親を主題とした曲は書かないと考えていた頃にこの依頼があり、半ば仕方なく書いた」と、後に鈴木は語っている。また、『BeSide」のセルフライナーでは「この曲はこれからのオフコースに合わないからと言って、置いてけぼりにされた(=アルバムへの収録が見送られた)曲。でも僕はこの曲は好きだった」と記している。w
やすはなんどもセルフカバーをしている。
この歌をライブとかアルバムにいれなかった
オフコースの方針みたいなものが
決められたものとかんじ、
脱退の足ががりにはなったのではないか、
|
撮影現場はたしか
箱根だったかな
黄色のワーゲンは
たしか、お兄さんのものだった?
「思い出を盗んで」は『JUNKTION』からのシングルカット曲で、アルバム収録曲と同内容。大間ジローによれば、第一間奏のドラムフレーズはスタジオだけでなく家に持ち帰ってまで考え抜いて作り上げたもので、大間にとってオフコース時代の特に思い出深い1曲だという。w
|
13曲目
|
「やさしさにさようなら」、「通りすぎた夜」両曲ともオリジナルアルバムには未収録で、ベスト・アルバム
『』に収録された。W
2007年に大貫妙子が
カバーしている。
『Voice Colors ~あなた…』
|
オフコース別れの歌はいったい
何曲あるのだろうか、
最後の盛り上げに「手拍子」
を入れているのはおもしろい。
この歌もヒットしなかったが、
オフコースのファンたちは深夜放送ラジオなどの番組にせっせとリクエストを送付。
ときのニッポン放送の担当者は
一様に、女性文字のしっかりしとした美しい字がおおいので
驚いたと語っている。
|
14曲目
五人のメンバーがじゃけ
にはいる。
横浜の・・・・で撮影。失念。 |
1978年7月20日発売
このシングルもヒットしなかったがLPのシングルカットの販売方法は成功しなかった。アルバムを全体のトーンで聞くのはすばらしいが、一つの曲だけのインパクトは弱いのが特徴であるからだとおもう。
オフコースの人気実力は認められ
コンサートのチケットは
かなり入手困難になりつつあった・
やすの歌にはおおい、「海」もの
やはり、浜小学校での体験など
海を見て育つ経験からであろうか
「あなたのすべて」は、アルバム
『FAIRWAY』の先行シングル曲で、アルバム収録曲と同内容。この曲は後に小田がシングル「こんな日だったね」のカップリングとしてセルフカヴァーし、アルバム
『LOOKING BACK 2』にも収録された。
|
「海を見つめて」は、
『FAIRWAY』制作時にレコーディングされたが、このシングルのみでの収録曲。
こんないい歌を聴かないで
いるのは・・。
鈴木さんごめんなさい・・。 |
15曲目
冒頭のパイプオルガンが聖なる雰囲気をかもちだし「静」から「動」へと躍動感溢れる歌と成る。 |
1979年1月20日発売
チャート19位までのぼり
スマッシュヒットとなった。
オフコースのブレークするきっかけとなった歌。あわせてロック色が強まり、ライブで受ける代表的な曲となってゆく・・。
『Three and Two』に収録されるが、ベスト・アルバム『SELECTION 1978-81』に、ビル・シュネーによるリミックス・ヴァージョンで再度収録された。この曲は後に小田がアルバム『LOOKING BACK』でセルフカヴァーしている。W
当初は「愛を止めて」という歌詞でどうしても歌がのらないので
変えたらうまくいったと、ソロになりLIFE=SIZEのビデオで小田さんは言っている。
|
田園コロシアムライブが
夏に行われ
いろいろなこのライブでは
横浜の港と飛ぶかもめの姿が
流れた。
映像と音楽の融合である。
オフコースのキーワードは
「愛」「別れ」「やさしさ」
そういう80年の時代を
予言してゆく。 |
16曲目
|
1979年6月5日発売
「風に吹かれて」は、オリジナルアルバムには未収録で、ベスト・アルバム『SELECTION 1978-81に、ビル・シュネーによるリミックス・ヴァージョンで収録された。後に小田がアルバム
『LOOKING BACK
にてセルフカヴァーしているが、歌詞の一部を書き変えている。
「恋を抱きしめよう」はアルバム『Three and Two』に収録されるが、アルバム収録曲と同内容。後に鈴木がアルバム『BeSide』 と『FORWARD』にてセルフカヴァーしている。
|
シングル「めぐる季節」以来ジャケットにデザインされてきた“SONG IS LOVE”を併せたグループ名のロゴは、このシングルで最後となった。
|
17曲目
しおかぜの中では
とってもきれいな情緒的な
歌です。
ヤスの歌と小田さんの歌が
それぞれサイドが違うところに
はいり、
もしかすると、永遠のライバルであったのかもしれません。
この歌は同時期に発売された
LPには入っていますが、
さよならはいれなかった。
その分、シングルは売れたし、
LPも売れた、そういう戦略。 |
1979年12月1日発売。
僕は深夜放送ラジオで発売前の曲を聴いたときのことをいまでも覚えている。ラジオのDJもすごい曲だといっていた。オフコースの出る曲出る曲、それまでは高校生のぼくでもあんまりうれないだろうな・。とおもっていたのが多かったが、今回は、オフコースが有名になりすぎるだろうという危機感をもったことを思い出す。案の定、78年から80年にかけて、初期のファンはミーハーな爆発的な若さと力をもったファンに圧倒され去ってゆくひともいたという。いたしかたのないことであるが、しかし、一位にはなれず、
あの贈る言葉に負けたのである。
皮肉にもその番組きんぱちのドラマにもさよならは流れ女子中学生はあらそってレコードやにかいに行ったという。
一番の問題は、ヤスが脱退を決めてしまったことであろうとおもう。
一つが売れるとそのような歌ばかりをだし、受けることを追及するからである。 |
この曲について小田和正は、「これまで以上に売れることを強く意識して書いた」と語っている。その結果、このシングルはオフコースにとって初のミリオンセラーを記録。以後、オフコースはニューミュージックの代表的グループとして認知されることになる。原詩では“僕は思わず
君を抱きしめそうになる”としていたところを、小田は間違えて“僕は思わず 君を抱きしめたくなる”と録音している。W
売れることを意識したのは
事務所の社長でもある小田さんの
意向でもあったのであろうか、
そもそも、
オフコースは
歩む道はONでもFAIRでもなく
「OFF]をゆっくりとゆく
グループであり、そのぶん、
ゆっくりとファンを拡大していったのであるがこの歌で一気に女子学生の女ごろをわしずかみ・・
コンサートでの黄色い絶叫などはあんまりなかったのがおこりはじまた。
当然である、もうロックバンドであるから聞く人を興奮させるのが
仕事であるから・・。
ココロのアンテナに
ひっかかるワードやセンテンスを
小田さんは理解し始めたのかも
しれない・・。
まさか、それで永遠の相棒を失うとは
おもわなかったろう。
|