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オフコース解散のはなし・・。

オフコースの会報、オフコースブック21に解散までの話が載っている。

オフコースが実質解散したのは、1982年6月30日であると、僕は思う。
小田さんもきっと、あの時停止した時間をずっと感じていたとおもう。


その会報に松尾さんがこう語る。
小田さんが解散の話を持ち出して、ツアーまで決まってチケットも出てるのに
それも中止したい、ということ。
それを清水仁さんが、とにかく、ツアーだけでも、やるように説得をする。

清水さんは解散のツアーのことをネットでかかれていて
「胃が痛くなる、逃げだしたい気分だった」
と語る、最後のツアーもおわり、自分では終わった気分でも
ファンからの要望ということで「トウキョウドーム」できまったのである。



清水仁は、

泣かない男。自分がまさか泣くとは
ライブ中。小田和正も「言葉にできない」で泣いた。
何回も小田さんはライブで泣いた、節目で泣いた。
それは、すごくこころのなかのことを感じられる現象。

風のように音楽が流れていたのテレビ番組でも
何回も何回も、「オフコースはしない」という、

「だから、あの三人にも断っておいて」とスタッフに言っているシーンも流れる。
これもどうもおかしいくかんじる。

それに、まえのツアーでは、オフコースコーナーをつくり、昔のアレンジで
オフコースの歌をうたウ。

だから、なんで、オフコースの再結成をしたくないのか?
誰もきちんと、主たる原因を質問しない。おそるおそる、聞いて、
ああ、やっぱり、といって、心の中でこのがんこおやじとつぶやく。

でなぜ、オフコースをしないか、そのツアーを中止させようとした社長の
心の中を見なければならない。
オフコースは何回も何回も危機を乗り越え鈴木康博と小田和正が
長い間やってきたものである、小田さんの頭の中にヤスがいないオフコースは
考えることができない。
あまりにも小田和正が中心になりすぎた5人時代。
それで、急なばかうれをしだして、鈴木康博は今までのことはいったいなんだったろう
と感じ、このままでは自分は埋もれてしまうとおもい、脱退したのだろう、
それは、自分を優先するためであり、音楽の道をゆく姿でもある。
鈴木さんは人一倍、家の反対があり、大学までゆき、内定までもらいながら
そこから、音楽の道をゆこうとし、親を説得し、それも毎晩毎晩だ。
それでも、平行線、鈴木康博の父親は電鉄会社の重役、
「ぜったいにだめだ!」の繰り返し、

最後には、「息子として勘当をしてくれ!」という始末。
これを言われてさすがに、へこむような、
母親もこまったとおもう、留年までしてまあ、飽きるだろうとおもったのか、
小田さんも鈴木さんもプロ猶予期間として、大学院を受けて
それをしながらやるという裏技をする、しかし、鈴木康博は大学院進学を失敗。
辛苦をともにした二人、しかし、シ
ングルの扱いは、小田さんがAサイド、
ほとんどの作品がBサイドの小さい字でヤスの作品がはいる、
LPでは平等であったが、世間一般では小田さんしか見てないのである。

1979年のころの脱退したいとヤスが告白。
一番売れ出すころである。小田さんは心の中でひどくきずついたとおもう。

小田さんが、time cannnot wait という本で
そのときのことを思い出している、
「もう、音楽はやめてしまおう、何も考えれずにいた」と語る。
2年近い間、オフコースは休止し、4人がそれぞれ独立してゆける助走の期間として
1989年まで走り続けた。

おそらく、そのあたりが心ノネックになつているとおもう。

ヤスもオフコース辞めてから長い間、封印していた。オフコース時代の歌を
避けるようにしていたし、
小田さんもlooking back1.2でオフコースの歌をセルフカバーするときなるべく
原曲とは違うものとして、それはメンバーに悪いからという理由がつく。

4人でもオフコースはやれる。と小田さんを説得したのも
清水仁さん、らしい。

オフコース4人時代もすばらしい楽曲があるのだが、
本当に小田さん自身はつらくてつらくてためらないものであったんだろう。

4人時代になると後半、地方公演でも二階席あたりが空席がではじめて、
はっきりいって、オフコースの人気はそれほどでもなくなった来ていた、
それも、つらいのであったとおもう。

誰のせいでもなく、自分たちのためにする音楽が、
食うための道具となり、
いろいろな辛苦があわさるのである。

バンド解散はメンバーの情熱が一番の原因であるとおもう、

アリスやTULIPなどは何度も何度も再結成している。
この差はいったいなんだろうか、と思うのだが、
小田さんがヤスに心を汲めなかったことや、
やはり、脱退ということへのショックなどから最後のツアーをキャンセルとか
言い出すようになったのでは、と思う。

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offcourse L O V E
1969-1989 offcourse was japan music bands,
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