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秋ゆく街で
秋ゆく街で ⁄ オフ・コース・ライヴ・イン・コンサートは、1974年12月20日に発売されたオフコース(当時の表記はオフ・コース)通算1作目のライブ・アルバム



会場にはおおくの音楽関係の招待客がいた。
ユーミンもTULIPのメンバーもいた・
・。
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1542枚のチケットをどうやって売るか、それが問題だった・

駅ポスター


 オフコースは再結成されない、
絶対に無理だといわれている。
しかし、ぼくはあきらめない。
必ずもう一度、年寄りオフコースを
みれることを・・。長七


ブログ

オフコース 伝説のグループ

オフコース。もう誰も語りはしない。
もう結成されることもない。
優しさの時代。愛の時代。
あの時代はどんどん遠く・・。










大人の雰囲気のツアー。
MYの夜景のバックがすばらしい














  • スナップ・ショット
  • —オフコースその夏まで』 
  •  藤沢映子 著  

藤沢さんのオフコースのほんは
他にもあり、情報がでない
オフコースのことをしることができた。










このツアーは実に長く
ハードな日々が続いた。









伝説のひまわりの映像
ソフィアローレンの
「ひまわり」
の映画から引用されたもの、
多額のレンタル料をはらって
この映像がえらばれた。































小田さんの家が経営
する喫茶店。












FAIRWAY

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ひとりのファンのオフコースへの
思いがエッセイになっている本。
オフコースが売れる前と
売れてからと複雑な思いが
描かれています。
小田さんが結婚したことのショック
などもね・・








yassが楽器を持たずうたう姿はなかなか見られない。かっこいいのです。

オフコースのマネージャー上野氏が、無理やりサンプラザを押さえ
コンサートをさせようとしたが、オフコースのメンバーは、自信がなく、その自信は、音
観客動員数、それに、お金、お金がないのである、
事務所は赤字続き、「悩み多き人」だったのだ。


LPの裏面画像・・小田さんがいません、ドラムは村上秀一



SIDE A
1 WHAT’S GOIN’ ON (3:51)
2 MEDLEY~YOUR SONG~WHERE IS THE LOVE~YOU MAKE ME FEEL BRAND NEW~YOU ARE EVERYTHING~I WON’T LAST A DAY (6:12)
3 竹田の子守唄 (2:33)
赤い鳥の歌。のちこの歌はいろいろなめにあう。
4 白い一日 (3:11)
5 メドレー~悩み多き者よ~傘がない (7:58)
悩み多きものよはオフコースは後に自分たちの「オフコースの小さな部屋」によび。
小田氏はクリ約にも呼んだ。
6 青春 (3:22)
鈴木康博  作詞 • 作曲 
鈴木(MC)「え・・小田君がいなくなったところで、小田君の悪口を言いたいと思います。
僕たちの馴れ初めは、小学校の頃、同じ塾に通ってまして、京浜急行という電車でゆくのですが、その頃は三両編成で(編者注: 鈴木の父は、京浜急行の重役)
運転席と客席の間が、都電でもそうですが、鎖で仕切られてまして、足を少し伸ばすと、運転席の警笛が鳴らされるのです。ブアーっ。てね。
で、有る時、ぼくが電車に乗ると、トンネルの前で警笛が勝手になってるのです。おかしいな。。で、見に行くと
小田君が足を伸ばして鳴らしていたのです。
{笑い}
・・次からは僕と一緒にやりだした、というのがなれ初めです。
あの人はね、引っ込み思案というか、はじめはぜんぜんはなさないのですよ。中学にいったときも、話し掛けても
「うん」「うん」とか、返事ともつかない感じだったり。
今日のコンサートの打ち合わせでも、バックに人にいろいろ指示を出さないといけないのに、なかなか、言わないのですよ。恥ずかしいかなんだか、そういう面も小田君はあります。
でも、お酒を飲んだらそすごいんですよ、がらっとかわって。やたら、ひとりで陽気になってしまうというか・・」
ギターをソロで
「青春」を演奏。。鈴木。

 
1 SIDE B
1 秋ゆく街で (3:06)
小田和正  作詞 • 作曲
わって、小田登場。
「エー、あのひとは(鈴木にたいしての反撃MC)
中学まではおなじ、身長だったんですよ、
高校にはいって、どんどん高くなり、とうとう、あんなにでかくなってしまいました。
僕はずっと野球部だったんですが、ある大会で鈴木君に
プラカードをもってもらったんです。その時の写真を見ると
全部他の選手が隠れてているのです。靴なんか長靴みたにでかいのはいてますよ。・・
新しい歌をいまから演奏するんですが。
新しいも、できたてのほやほやです。
昨日の夜。まだできてなくて、メロディーと編曲が先にできているのですが
お風呂の中で完成させようとペンと紙をもってはいり
できあがりました。」
「秋ゆく街で」

再び、二人がそろい。ストリングスが「里の秋」のイントロを演奏。曲のエンヂングにかぶせ、小田のMC.

2 MC小田
「今までに何回も音楽を辞めようと何度もおもいました。そういうときに作った歌です・。」

水曜日の午後 (2:41)
小田和正 作詞 • 作曲
3 僕の贈りもの (1:59)
小田和正  作詞 • 作曲
4 のがすなチャンスを (2:41)
鈴木康博  作詞 • 作曲
5 白い帽子 (3:00)
小田和正  作詞 • 作曲
6 別れの情景(I) (3:17)
小田和正  作詞 • 作曲
7 キリストは来ないだろう (4:43)
小田和正 作詞 • 作曲
8 でももう花はいらない (8:17)
鈴木康博  作詞 • 作曲
アンコール「僕の贈り物」 最後の
曲が終わったとき.小田和正が話をつまらせた・・そのとき、ひとりの青年が舞台にあるいてゆく。会場はオフコースの音楽の余韻に浸り、小田の話が止まったことで静まり返る・・
その青年が舞台に花束を置いた、が
「オフコース万歳!」
と叫んだ。
そして、拍手が沸き起こり感動の渦に・・
その盛り上がりの光景をみた小田和正は泣き伏してしまった。
ぼくは、この青年は誰だったんだろうか考えてみた。一人のファン。関係者か?不思議な存在。
それでも小田は最後の挨拶を続けようとした・・。
  • 忘れ雪 という新曲がそのライブの寸前に出た。
  • その忘れ雪は、松本隆ツツミコンビの最強の歌であったがオフコースのメンバーは
  • そのときの自分たちが出そうと作った歌、没にされた歌「白い帽子」「キリストはこないだろう」を会場で歌う、東芝EMI関係のえらいさんはかんかん、しかし、自分たちのうたでないということその歌をつっぱねた。

「秋ゆく街で」のリサイタルはその後、シリーズ化された。全国も
回るようになった。数多くの人々がオフコースの歌に感動し。
共鳴し、彼らの音楽への道、それがオフなのか、オンなのか、
フェアなのか、彼らのデビューは69年、もうそのときは5年を経過していた・

 リンクはご自由に。
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 引用・・Wikipedia:ウィキペディアから引用

オフコースのの記事を引用。
はじめの一歩から引用。



「はじめの一歩」サンリオ刊1983年オフコースカンパニー
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ぼくはおもう。オフコース彼らの生き方は実に興味深い。