オフコースは再結成されない、
絶対に無理だといわれている。
しかし、ぼくはあきらめない。
必ずもう一度、年寄りオフコースを
みれることを・・。長七
オフコース。もう誰も語りはしない。
もう結成されることもない。
優しさの時代。愛の時代。
あの時代はどんどん遠く・・。
大人の雰囲気のツアー。
MYの夜景のバックがすばらしい
- 『スナップ・ショット
- —オフコースその夏まで』
- 藤沢映子 著
藤沢さんのオフコースのほんは
他にもあり、情報がでない
オフコースのことをしることができた。
このツアーは実に長く
ハードな日々が続いた。
伝説のひまわりの映像
ソフィアローレンの
「ひまわり」
の映画から引用されたもの、
多額のレンタル料をはらって
この映像がえらばれた。
小田さんの家が経営
する喫茶店。
ひとりのファンのオフコースへの
思いがエッセイになっている本。
オフコースが売れる前と
売れてからと複雑な思いが
描かれています。
小田さんが結婚したことのショック
などもね・・
|
|
|
|
1 |
WHAT’S GOIN’ ON (3:51)
|
|
2 |
MEDLEY~YOUR SONG~WHERE IS THE LOVE~YOU MAKE ME FEEL BRAND NEW~YOU ARE EVERYTHING~I WON’T LAST A DAY
(6:12)
|
|
3 |
竹田の子守唄 (2:33)
|
赤い鳥の歌。のちこの歌はいろいろなめにあう。 |
4 |
白い一日 (3:11)
|
|
5 |
メドレー~悩み多き者よ~傘がない (7:58)
|
悩み多きものよはオフコースは後に自分たちの「オフコースの小さな部屋」によび。
小田氏はクリ約にも呼んだ。 |
6 |
青春 (3:22)
|
鈴木康博 作詞 • 作曲
鈴木(MC)「え・・小田君がいなくなったところで、小田君の悪口を言いたいと思います。
僕たちの馴れ初めは、小学校の頃、同じ塾に通ってまして、京浜急行という電車でゆくのですが、その頃は三両編成で(編者注: 鈴木の父は、京浜急行の重役)
運転席と客席の間が、都電でもそうですが、鎖で仕切られてまして、足を少し伸ばすと、運転席の警笛が鳴らされるのです。ブアーっ。てね。
で、有る時、ぼくが電車に乗ると、トンネルの前で警笛が勝手になってるのです。おかしいな。。で、見に行くと
小田君が足を伸ばして鳴らしていたのです。
{笑い}
・・次からは僕と一緒にやりだした、というのがなれ初めです。
あの人はね、引っ込み思案というか、はじめはぜんぜんはなさないのですよ。中学にいったときも、話し掛けても
「うん」「うん」とか、返事ともつかない感じだったり。
今日のコンサートの打ち合わせでも、バックに人にいろいろ指示を出さないといけないのに、なかなか、言わないのですよ。恥ずかしいかなんだか、そういう面も小田君はあります。
でも、お酒を飲んだらそすごいんですよ、がらっとかわって。やたら、ひとりで陽気になってしまうというか・・」
ギターをソロで
「青春」を演奏。。鈴木。
|
1 |
|
|
1 |
秋ゆく街で (3:06)
|
小田和正 作詞 • 作曲
わって、小田登場。
「エー、あのひとは(鈴木にたいしての反撃MC)
中学まではおなじ、身長だったんですよ、
高校にはいって、どんどん高くなり、とうとう、あんなにでかくなってしまいました。
僕はずっと野球部だったんですが、ある大会で鈴木君に
プラカードをもってもらったんです。その時の写真を見ると
全部他の選手が隠れてているのです。靴なんか長靴みたにでかいのはいてますよ。・・
新しい歌をいまから演奏するんですが。
新しいも、できたてのほやほやです。
昨日の夜。まだできてなくて、メロディーと編曲が先にできているのですが
お風呂の中で完成させようとペンと紙をもってはいり
できあがりました。」
「秋ゆく街で」
再び、二人がそろい。ストリングスが「里の秋」のイントロを演奏。曲のエンヂングにかぶせ、小田のMC.
|
2 |
MC小田
「今までに何回も音楽を辞めようと何度もおもいました。そういうときに作った歌です・。」
水曜日の午後 (2:41)
|
小田和正 作詞 • 作曲 |
3 |
僕の贈りもの (1:59)
|
小田和正 作詞 • 作曲 |
4 |
のがすなチャンスを (2:41)
|
鈴木康博 作詞 • 作曲 |
5 |
白い帽子 (3:00)
|
小田和正 作詞 • 作曲 |
6 |
別れの情景(I) (3:17)
|
小田和正 作詞 • 作曲 |
7 |
キリストは来ないだろう (4:43)
|
小田和正 作詞 • 作曲 |
8 |
でももう花はいらない (8:17)
|
鈴木康博 作詞 • 作曲 |
|
アンコール「僕の贈り物」 |
最後の
曲が終わったとき.小田和正が話をつまらせた・・そのとき、ひとりの青年が舞台にあるいてゆく。会場はオフコースの音楽の余韻に浸り、小田の話が止まったことで静まり返る・・
その青年が舞台に花束を置いた、が
「オフコース万歳!」
と叫んだ。
そして、拍手が沸き起こり感動の渦に・・
その盛り上がりの光景をみた小田和正は泣き伏してしまった。
ぼくは、この青年は誰だったんだろうか考えてみた。一人のファン。関係者か?不思議な存在。
それでも小田は最後の挨拶を続けようとした・・。 |
|
|
- 忘れ雪 という新曲がそのライブの寸前に出た。
- その忘れ雪は、松本隆ツツミコンビの最強の歌であったがオフコースのメンバーは
- そのときの自分たちが出そうと作った歌、没にされた歌「白い帽子」「キリストはこないだろう」を会場で歌う、東芝EMI関係のえらいさんはかんかん、しかし、自分たちのうたでないということその歌をつっぱねた。
|
|
|
|
「秋ゆく街で」のリサイタルはその後、シリーズ化された。全国も
回るようになった。数多くの人々がオフコースの歌に感動し。
共鳴し、彼らの音楽への道、それがオフなのか、オンなのか、
フェアなのか、彼らのデビューは69年、もうそのときは5年を経過していた・
|