起点:大阪市(西成区、花園北交差点 = 国道26号交点)
終点:神戸市(灘区、岩屋交差点 = 国道2号交点)
総延長 : 30.0 km(大阪市 9.8 km、兵庫県 12.7 km、神戸市 7.5 km
第一阪神国道 阪神国道(はんしんこくどう)は、国道2号のうち大阪府大阪市から兵庫県神戸市に至る区間の通称である。成り立ちは、大正時代末期に旧道に対する新道として建設されたバイパス道路で、その時の事業名「阪神国道改築工事」がその後も通称として定着した。並行する第二阪神国道(国道43号)の開通後は、第一阪神国道の意から「一国」と呼称される。 二号線なのに、一国と呼ばれる不思議さ。近年は 2国と呼ぶ。どっちやねん
敗戦後、戦災復興が始まるなか、阪神間の各自治体は復興都市計画を立案し、戦前の街路計画を見直します。その計画において、第二阪神国道として位置付けられたのは、海岸線でも山手線でもなく、阪神電鉄の南に沿って旧市街地を結ぶ浜手幹線計画、つまり現在の国道43号のプランでした。昭和21年5月には計画路線が決定。兵庫県内においては早くも同年九月、土地取得が開始されます。 尼崎市 出典
43号線建設 甲子園前の陸橋 西宮市 デジタルアーカイブさまから 引用
https://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=12649
さて、何年ごろでしょうか、昭和30年から35年くらいの間でしょうか、甲子園にはまだ松がありました。このあたりはもとはといえば 川でしたから
震災時にはよく揺れたとおもいます、しかし、この大きな陸橋はこわれることがなかったです。
こちらも西宮デジタルアーカイブさんから、お借りしました。そうです、当時は、アスファルトではなく、セメントだったようです。鳴尾浜ということですから、さきほどの甲子園陸橋をわたるまえでしょうか、白線もガードレールもない、横断歩道もない。人が渡ろうとしています。路の横に見えるのは地下通路でしょうか、
こちらは、昭和40年、国道運用はじまり、数年たち、車が多くなっています。懐かしい街灯があります、芦屋市さんのサイトからお借りしています。
国道43号線を建設する目的は、阪神工業地帯の発展するためのものでした。まさに、日本が高度成長するタイミングでありました。
そして、上部には阪神高速の建設が始まります。
当然、起こりうるのは、騒音と排気ガスの 公害。 交通事故です。
そのことは、ここではのべません、僕も犠牲者のひとりです。
御影が、空襲など被害がなかったところも、道路建設のため、立ち退きとなりました。各市でも「同じような」ことが起きていたと思います。
国道交通省などは、戦後復興のためではあり、いい機会だったのだろうと思います。
神戸などは六甲山の山風が吹きますが、尼崎や西淀川区では、大気が停滞し、大気汚染が相当ひどく、喘息などの子供がおおあったのです。
2024/12/08