御影郷の酒蔵のページ


高校のとき、撮影した画像がありますので、公表いたします、ほとんどの酒蔵は1995年の大地震で全壊しております。

 

御影石町1丁目、坊垣さんの蔵だとか友人はいってましたが、名前はわかりません。御影郷の酒蔵は石屋川沿いにのこっており、43号線からくだったところにありました。この間の小さい路地は、狭く、夜はまっくらでした。すずしく、風もよくとおる、好きな道でした。下の画像ですがむこうにはモロゾフさんが見えます。あのあたりはチョコレートのにおいがよくしました。

波返しの蔵

波返しの蔵。というのはぼくがかってにつけましたが、このコンクリートは防波堤の役目でありました。時代的にコンクリートが日本に登場するのは

大正以降だとおもうのですが、この蔵の南側はもう砂浜であり、海がそこまできていました。台風や大潮の被害でたびたび蔵は崩壊しており、そのために大正か昭和初に設置したのではないかと思います。実をいうとこの蔵の写真は裏焼きでして、奥側は石屋川になっています。この蔵は阪神大震災で全壊し、そのあとから何重にもわたる、酒蔵の遺跡が出てきました。

御影郷古酒蔵群 第4次発掘調査報告書 として、神戸市が調査をされています。江戸期の窯場のあとがそっくり出てきて、貴重な発掘となりました。内容をご覧いただくには検索してみればいいでしょう。下の画像は 石屋川ぞいの小さな祠です。川向うの蔵なんと、震災ではつぶれませんで一番下の画像は戦後焼け野原の御影郷。しかしながら、その半分は残っています、精密爆撃B29などは、石屋川沿いに軍需工場があったので、それを目掛けて北方面に爆弾を落とし、蔵はほぼ被災しなかったのです。よって、戦後、震災が来るまでは残ったのです。不幸なことに、樽屋長七の場所が起点となったようで、空中からも白い地面が見えます。

 

これも波返しのあとがみえます。天神川あたりのくらです。下の画像は 陸橋から写したものです。むこうには、震災時爆発の恐れが起きた石油コンビナートです、

 

酒蔵の屋根は、

屋根瓦は丸瓦のしっかりしたものだった。なにしろ、温度管理が大事で、熱を防がないといけない、昔は冷蔵設備などなかったからだ。

南からさきほどの路地方向を撮影、阪神高速が見える。

2024年12月05日