藤本義一さんの碑
藤本義一さんの震災の慰霊碑。
阪神・淡路大震災被災遺児のための児童厚生施設「浜風の家」の建設呼びかけ人代表となり尽力。施設を運営する「社会福祉法人のぞみ会」の初代理事長を務めた(後任の理事長は妻・統紀子が務めている)。阪神・淡路大震災で報道ヘリコプターのために「救援を求める声がかき消された」として救助活動に支障が出たことを痛烈に批判し、過剰なマスコミ報道に警鐘をならした。
しかし、震災のときにアスベスト被害にあったらしく、その後、脳梗塞や、誤嚥性肺炎など79歳で亡くなられる、関西の文化人の中心的な役割だった。慰霊碑は 湊川公園の楠公さんの銅像の横にある。
高校の時、藤本さんの小説を読んでいたので、懐かしいご本人の文字だった。
長い間テレビのイレブンPMの司会をやっておられた。吉本の新人芸人の集まる会があり、当時出だしの無名のさんまさんが、なんとか話んかもうとしていたので、二回ほど、さんまさんを義一さんが注意したんのを覚えている。やっぱ、さんまさんも売れたいと必死やった。