88. 神戸夢野 04

ディナーとナイトは採用もできて、訓練も進んだ。
しかし、それは震災の失業した優秀な人材がいたからであった。
彼らは、仕事を無くし、とりあえず、バイトを探していた。
伊丹瑞穂でも居た。
しかし、復興が進み出すと、ひとり、またひとりと消えてゆく。
これは、神戸籠池店でも同じことが起きていた。

大川原さんは、日曜日ごとに店に来てくれ、キッチンで料理を
出してくれた、ぼくはフロアーで走り回った。
震災で家が潰れた、いろんなひとが、喜んで店に食べに来られた。
それでもすさまじい入店であった。
その店はそもそも、イエスタディである、オープンの頃はもう一つ
別の業態を作るということで土地があいており
駐車場がやたら広かった。だからいくらでも入るのである。
7月8月は相当な物であった。
特に、大規模な霊園があるので、お盆の前後はずっと
1000名ごえの客数であった。しかし、112や310型のお店のような
L字型の客席ではないので、160は余裕ではいる客席は相当な足腰を
必要とした。
大川原さんはヘルプもくれた、
しかし、癖のある人が多かった、
フロアーで忙しくやっていると、新人が急に怒り出し
「こんな仕事できひんわー」
と、いい、突然着替えて帰ってしまった。
そのひとは、やれ交通費が安いの、面接のときのぼくの言い方が
悪いの、文句が多いひとだった。
ヘルプできていた蔭木くんが、
「店長、かえりましたよ!」と
僕に言ってきた。ぼくは、驚きもせず、
「ほっておいて!」と、結局辞めた。

ディナーのフロアーのバイトはたくさん来た。
その中でも名門お嬢さんのまじめそうな子が来た。
どうみてもむりっぽいが、本人にできるか?
と聴くと、やるという。

トレンチ(お盆)の持ち方がいつも悪く、まあ、重たいもの
もったことがないやつだったんだろう。
あるとき、ビールのじょっきーをトレンチに載せて
「ぼくは、手前にもっておさえないと・・」
といったにもかかわらず、そのままいき
お客さんに阪神優勝でもないのにビールを頭からかけた。
ぼくは慌てて、バスタオルをもち、控え室に着て貰い
拭いて謝った。服を変えて、家まで送りますまで、言ったが
もういい、と許していただいた。
しかしだ、
こぼした本人は
「もう、私には向いてません!帰ります!」
怒って帰っていった、ぼくは、意味がわからず
そのまま、帰らせた。
自分でミスをして、迷惑をかけて怒って帰るのは
なかなかないことだ。


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