102.夢野 17

太田部長はすぐに異動となった、
千葉の幕張で合同店長会議があり、休み潰れて日帰りでいく。
翌年。
1998年平成10年の年が明けた。
新しい部長は、関西からでた、佐伯部長だった。
ほぼ、同期で、中途で速く入社していた。
ぼくとは違い、出世が速く、しかし、感の触る部長だった。

最初の面接であった。
下げ物がたまり、片付けていた。
ぼくが必死で下げてると
「おまえは、そんなにどたどたしていたのか?」
その言葉は忘れはしない。

まあ、古い店で床が悪く、どたどた鳴っていたのかもしれないが
3年近く、ぼろぼろの店をなんとかワンエムまで持ってきて
曲がりなりにも、監査も吉沢さんにお目こぼしで合格もらい。

その苦労が
「どたどたしていたのか・・」

なんだ、こいつは!不信感であふれた。
いま考えると、たわいの無いジョークだったのだろう、
しかし、ぼくは、その言葉には傷ついた。
忘れもしない。いや。忘れない。
最初の印象は大事なものだ・・・。

その年、ガストビジョンというのが導入された。
プラズマテレビという、当時出たての大型テレビを店につけるというのだ。
こんなもの、いらんもん、カネツカッテ・・・。
ぼくは、内心思った。
テレビなど、家でも見れるのに・・・。

そして、全額無料処理 とかいうのが始った。
少しでも苦情があれば、全部ただにしろ、という
とんでもないマニュアルが始ったのだ・・。
客層の悪い魔の地帯の夢野では、
ぼくは、予測が付いた、というか、呆れた。
お客さんにたしかに迷惑をかけることはよくない。
しかし、些細なもの、もしくは、作り直して、それも無料。

ぼくが、キッチンでいた。
1人営業だ。ビーフシチュウとライスだった。
提供すると。
「お客さんから、髪の毛が入っていると・・」
みると、長い髪の毛だった。ぼくは短髪だった。
あきらかに自分のものではない。
作り直して提供し、

すこしたって、レジでお詫びしようと思った。
見ると、若いヤンキーだった。
ぼくは丁重に謝り、伝票から請求した。
すると、ヤンキーは
「ただになるのと違うのか?」
と、言い出した。
なんで、知っているのか、驚いたが、
バイトの友人か、他の店で聞いたのか・・。

ぼくは、呆れて言葉が出なかった。
でも、もし、工場で髪の毛が本当に入っていたら・・。
自分で髪の毛を入れてただにしたのではないか・・。

こんな野郎のために・・・。
ぼくは、言葉も出ずただづんでいると
ヤンキーは金も払わず、出て行った。
無性にはらがたった。昔は文句やクレームをいうひとでも
金は払う。馬鹿にされたものだ・・。

日曜日、相変わらず忙しい営業で潰れていた
4人家族でかなり食べてた。そのテーブルの男の人が
パフェを追加した。
そして、持って行ったスプーンが汚れていた。
普通なら、汚れているから変えてくれ、で、終わりだ。
しかし、男性はおもむろに立ち上がり、サービスエリアにはいってきて
ぼくを呼び止めた。
スプーンが汚れている、どうするんだ!
ぼくは丁重にあやまり、新しいスプーンをもってゆくというと、
「オレは、本部の人間を知っている。連絡しようか!」
ぼくは、この本部にいうぞ、のクレームが一番腹が立った。
難癖のある男だった。
「わかりました、連絡されても構いません、全額無料にします」
相手は手のひらを変えたように、喜んだ顔をして
「それなら、いいわ」
と、家族と帰っていった。
この男もなぜか、全額無料処理を知っていたのだ。

ぼくは、経緯をまとめて、副社長に直訴しようかと思った。
会議でであったときに、ぶつけてみた。
「そういう、悪いのはどこかでまた悪きことをして天罰が下る」
という、訳のわからん宗教的なことをいっていた。

全額無料処理と、ガストビジョン。訳のわからない施策が
どんどん続いた。
優良企業になるためには、いい店であること、
従業員が気持ちよく働けること、そういうコンセプトは剥離しつつあった。

スター制度でも、自分さえ善ければいいという、いまさえいい数字をだせという
そういう混沌としたものに、ぼくはもう、ついてゆけなくなった。

どたどた。の言葉でも、上に立つ人間なら部下に対して
やる気を起こすような、ねぎらうような言葉がでないのか・・。

1997年1998年は、ほんとうにつらいしんどいものとなった。
あんなに意識高く働いていたのに・・。
ぼくが店長になりたての頃、古い店長といわれるひとびとがいて
どうのこうの、言われていた。
そのぼくがたった9年ほどで古株扱いされてこのざまだ。

しかし、まだまだ、クレームは続くのだ・・。