98. 夢野 15

まえの部長がダウンし、三ヶ月間部長なしで、やり、
秋になり、太田部長が代理でやってきた。
最近まで現場をやってきたひとで、頭が切れた、
だんだんと、店舗にもストコンの精度があがり
ロス対策の数値が毎週出るようになってきた、
ロス金額の多い物から10品目選んで、ミィーテイングで話し合うのだ。
その中でも、発見があった、市場とかにはいかないので
野菜の相場などは一切わからない。
当時、出始めた、パブリカという赤いピーマン
これが、やたら高かった、しかし、店舗では
どうだ、厚切りのカットの時に、やたらでかいのはないか、
そういう視点でものをみるのはひさしぶりだった・・。

「どうやら、ずっと、採用できなくて苦しんでいるようだけど・・」
「は、もう、慣れました」
「それでも、いいひといっぱいいるね!」
「あ、そうですか!」
「ディナーの武田さんの笑顔は最高だ、大蔵さんの動きもいいし
深夜の垣さんなんか、とてもいいじゃあないか!」
「その垣さんが、昨日転んで足うったんですよ!」
「そうか、たいへんだ、見舞いに行くぞ!コンビニで後ろに飾ってる
クッキーセットかって、いこう!電話してから・・」
それから、ぼくの車で太田部長を乗せて、垣さんの家にいった。
「大丈夫ですか?」
ぼくは、聞いた。部長もたいへんでしたね、と、ねぎらいのことばを・・。
ぼくは、笑顔で垣さんが迎えてくれてうれしかった。
それよりも、ここまでひとを大事にし敬うことはすごいと思った。

帰りにある社員のことを聞かれた。
大坪さんのことだった。彼が四国で腕が動かなくなったことや
いろんなことをはなした。
しかし、太田部長は、自分も社員時代、腕が動かなくなったことや
冷遇されたことを話し出した。

目から鱗のようなひとだった。

「人が採れないのは時給のせいだね」
「はい、そうです、」
「あげるか?」
「はい、そうしていただくと有り難いです」
「50円くらいですか?」
「いや、インパクト込めて150円あげよう、売れてるし、
アルバイト募集の広告代も予算以上でしょ、年間140マン、
採用してすぐに辞めるひとおおいでしょ、
それもロスだ、年間200万の金をどぶに捨ててる。」

簡単に時給UPが決まった。
やはり、それからは格段に採用が楽になった。
いままでの苦労がなんであったのだろうか・・。

しかしだ、そこでまた一つ問題が起きた。
店のオーナーが、近隣にデニーズを開店させたのだ。
一気にここで、客数がダウン、特に相手は24時間営業だったので
深夜の客数が減った。
人が居なくて売れていた。
そして、人が採れて売れなくなった。
皮肉であった。