一億の夜をこえる目標・・

一作目から二作目のシングルが計画された。
1971年10月5日 70年だと、いうことですが。。。EMIさま
夜明けを告げに/美しい世界 
大阪のMBSラジオ 歌うヤングタウンの今月の歌にえらばれたりもしたが
ヒットしなかった。当時、演歌も強く、ウタダサンの母の「夢は夜開く」などもヒット。
赤い鳥の翼をください、が、だいだいヒット、またしても。オフコースは彼らの勢いをかんじるのであったろう、当時、フォークは関西が主流であり、岡林や五つの赤い風船などもかなり関西の大学からヒットしていた、井上陽水はまだ、伝説のグループ「アンドレカンドレ」で、ヒットにあまりめぐまれなかった。歴史的にかんがみると、1969年に
東京大学安田講堂が機動隊に破られ数年に続いた学生運動も終わりと告げようとしていた時代、学生運動は過激派をうみ、過激な行動(ハイジャクやリンチなど)の一方
、ベトナム反戦のアメリカの音楽に影響されたあとの、ノーイデオロギーのものに流れたいったのだろうか。夜明けを告げに はそういう意図もあったのだろうかな?
この歌の作詞は 山川啓介さん、いまでは、アニメソングの大御所であるが、
中村雅俊のヒット 「 ふれあい 」や、マドンナ達のララバイなどの作品がある。
作曲は 加藤和彦。1960年台後半から、フォークルでヒットを飛ばしまくり関西の音楽シーンを引っ張っていたひとである。
鳴り物入りでつくった歌もさほどヒットしなった。
しかも、はじめからずっとやってきた地主くんは辞めたしまったのだ。
二人になって、どうおもったんだろうか?やりたいこととは別に妖怪がすむような
歌謡界にはいって自分たちの歌をうたいたかったんだろうとおもう。
いまなら、彼らの天才ぶりもわかるが、事務所もEMIも、理解できてなkったんだろうな。
ぼくは、あとであんべくんがつくった歌、一億の夜を越えて は、あの時の気持ちを
歌ったんだと思う、いつか、日本全国のひとびとに俺たちの歌を聞いてもらう。
いつか、きっと夢をかなわせる。ああ。なんとすばらしい夢か・・・
小田さんか武道館で
「 なんと、だいそれたことをしたか・・」と冒頭で述べた背景は。このあたりからきてるのかも





1972年4月25日
おさらば をシングル発売。
この3枚ともオフコース・グレイテストヒットというCD
できくことができます。この歌も彼らの作ったものでなく。またもや、してやられて歌わされたのである。彼らの苦悩が伝わってくる、小田さんの顔をみればわかる。だまされやすそうな素直そうなひと、
でも、ジオフコースをなんとか売り出そうと、人気を出してレコードを 赤い鳥 や井上揚水のように
ばんばん、うりたかったのだろう、
しかし、 おさらば という代で作ったのは
どういう意図かわかりませんが、トワエモアや野口五郎,沢田研二など、ヒットメーカーであったのですがこの歌も売れませんでした。
デビューして、もう3年以上たちました、
さよなら ヒットまであと 7年・・・