鶴瓶の深夜ラジオの時代

あのころはラジオが全盛の時代だった。
以前、いまは全国的人気ものであり、CM映画テレビと
大活躍なのであるが、
1970年代のつるべは関西のローカルタレントであった。

2012年7月9日
番組名 放送局 放送時期
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サンデー・フレッシュわいのわいの90!! MBS大阪
毎日放送
1975年4月〜1988年4月
MBSヤングタウン 月曜日工事中
ミッドナイト東海工事中
OBC鶴瓶新野のぬかるみの世界工事中
セイヤング

いまの人気を思うと鶴瓶さんのがんばり努力運などすごいものだとおもうのであります。
しかし、彼のすごいところは数々の過去の栄光を持ちながら、決して振り返らないという姿勢である、たとえば、過去人気のテレビパペポテレビのDVD化は承諾しなかった。旬というものを理解しているからでもあり、常に前を向き新しいものを取り組まないと芸人タレントとして生き抜いていかれないのである。
そういうなか、僕らの世代は、受験戦争の中、唯一の夜のオアシスであった深夜放送ラジオのなかで、特に彼の放送はおもしろくためになるものであった。
深夜放送のすばらしさはライブ感であり、一体感である、
あのころ30年まえにもなるだろうか、夜は深かった、静かだった。
家の中も真っ黒で、そのなかで電気スタンドだけつけて、机に向かい、したくもない勉強をする、そのなかでみんなが聞いていたラジオ、ラジオこそがオアシスであった。
鶴瓶さんは当時、平日最大で月曜ヤンタン火曜東京セイヤング木曜日名古屋ミッドナイト東海日曜日大阪ぬかるみと4日間も家を明けて深夜放送をしていた、奥さんもさみしかったろうとおもうし、常に寝不足であったと思うのです。
寝不足で新幹線を乗り越す、そういう話もラジオでよく聞いて大笑いしたものです。
名古屋で降りるべきものを東京までいってしまい。
東京におりたち、どこかのしらないホテルに飛び込んで10円だまをにぎりしめ
電話で放送するという話は何度も聞いておもしろかったのだ。