11  佃の話 たわいない話 22018/0308





佃の店に居た頃、深夜の客層がひどかった。
当時、1980年代初め頃から学校があれ、全国で暴走族が走りまわり。
国道沿いにあるお店は、族にやられていた。
土曜日の深夜はド満席で、いつも10時から朝5時まで20万以上の売り上げ
ぼくらは、その指標を、お客さんからいただく10%の

「深夜料金」で判断する、土曜日なら2万超えるとかなりしんどい、
そういう満席の中、国道に面した駐車場を暴走族がくるくると店を回り始める。
お客さんのなかには見物してるひともいたが、もし、店を出れば危ない。
もう、その瞬間に、110番、どこにいてもすぐに電話した。
しかし、土曜日の夜、警察は忙しい、なかなか、来ない。
ぼくは、もう一度、電話する。
「すいません、いそがしいので・・」
どこかで聞いた台詞だ、ぼくらが料理が遅れたときに、

それから、パトカーが何台か来る、大阪府警だ。
そのころ、西宮でグリコの事件があり、警察は相当大変だった頃
しかしだ、追いかけると、国道の左門土橋を渡る、実を言うと
川の向こうは、兵庫県、追いかけるのを止める。
この繰り返しは相当あった、とうとう、土曜日の深夜、国道を閉鎖し、
一網打尽にした。

暴走族とは別に、テキ屋のお兄さんがよく来た。
来るのはいいが、にんじんが嫌いなのだ、にんじんが食べれないから
付け合わせのキャロが食べれない、だから、ごうてんは、わざわざ
スパをケチャップで炒めて出した。出すのはいいが、マニュアルでない、
忙しいときにできない。これで、他の社員が知らない、またもめる。
S小店舗というのが佃にあり118だったか忘れたが、店の形がそうで
そこへは、深夜は閉鎖していた。それでも、進入するので
電気を消した、電気を消すのはだめだ!と、SVは何度も注意するが
深夜にはSVはこない、だから、消す。
真っ暗なか、そこに、
「おい、少し寝るぞ!」テキ屋の兄さんのホテルになるのだ。
閉店時間の前に起こして返すのだが、
これもごうてんマニュアルだった。
のちにぼくは24Hの店にいって、寝転んで寝ようとする客は
たいてい、たたき起こした、
「大丈夫ですか?」と、白々しく大きな声でいうのだ。
それでも寝る、浮浪者一歩手前のようなひとは、
お帰り願った。そうしないと、本来のレストランではなくなるからだ、

24時以降は、アルコールオーダーストップだ、
これにまつわる様々な事件がおき、たくさんの社員バイトが暴力脅迫を受けた。
佃でもこれの連続だった。ごうてんなぐられるのまき でも、読者は覚えているだろう。

離婚問題を抱え、要するに、
嫁はんが逃げた男と、その親戚(たぶん仲人)の二人がランチタイムで
来て、大きな声で言い合いをしてる、もう、雰囲気が悪く
みんな、嫌がってる。
ぼくは、何度も静かにお願いしますというと、足を蹴られた。
自分で蹴ったくせに、靴が汚れた、靴をみがけ、と、ぼくにいうのだ。
ぼくは、仕方なく、汚いダスターでおっさんの靴を拭くふりをした
あとにも先にもお客さんの靴をふいたのはこれだけ、
こんなやつだから、嫁はんも逃げる。
注文もせず、いたので、注文はさせようと、オーダーを聞いた。
ミックちゅうすジュース。
嫁はんが逃げた男はメニューブックも見ずに注文。
ぼくは、
そういうのは置いてないんです、
というと、
そんなもんあるやろ普通、なんでもいいからもってこい!
そう、怒鳴った。

ぼくは、もう、相当頭にきて、
コーラーとメロンソーダーを混ぜて持っていた。
おっさんは
飲むなり、吹き出し、こんなもん飲めるか!
と、怒って出て行った。

ぼくは、心の中で、「やったぜ」
と、つぶやいた。
しかし、何日かして、その二人が
フロアーに座っていた。
今度はおとなしく、嫁はんに逃げられたおっさんは、しょげていた。
ぼくは、その姿を見て、かわいそうになった。

ああ、話がついたんだ。そう感じた、

客層が悪いには豊中三店、佃などであったが、深夜にほとんど
いろんなことが起きていた。

話変わるが、もてもての斉藤さんとは別に、こんなぼくに好意を寄せる
乙女がいた、たいてい、どこの店でも奇特な方がいた。
特に、高校生の鉄工所の娘さんが、すごかった。
電球交換のときにたまたま、下にその子がいて、
「はい、プレゼント」
と、切れた電球をあげると、大事に家に持って帰り飾っていたとか
何回も家に電話してきて、ぼくのおかんも相当心配していた。
その子は双子で、よく働く、フロアーに妹がいて、キッチンに姉がいて
それもたまに見間違う。人を介して、「なあ、おっさん、どこかつれていってやってよ」
とか、説得にかかる。
ぼくは、辞められたら困る気持ちが強く、誤解も招いたかもしれないが
もう、彼女はストーカー状態だった。次の店に行っても、小林という友人と
わざわざ、食べに来ていた。
結局、変な手紙を送ってきて、ぼくには、その気持ちがないのを
小林から聞いたらしく、泣いてすいません、といって電話してきた。
それから、連絡もこなかった。

これらがたわいもない佃での話、もっと、思い出したが、ここまで


旧ポスレジ、発注作業、レジで入力していた。閉店後データー送信のため
のSW切り替えがあり、よくそれを忘れて帰るとえらいことのなった。
関西では、発注はかんばん方式以降は使われることがなく、
ストコン(ストアーコンピュター)と、はんでぃーたーみなるの導入で
画面を押すこのタイプは役目を終えた。とにかく、レジミスを起こしやすい
レジで、数え間違いという人為的なものでもあるが、バイト主体の店舗で
レジ過不足は頻発した、親戚のおばさんは、よくこずかいをレジで
もらったと、言っていた、お客さんは釣り銭が多めにもらうと、だれも
黙っている物。たまにもらいすぎのあったが、これも、極秘に
隠しておき、いざ、足らないときに補填をした。
バイトパートの金をくすねるのも多く、胸ポケットをユニホームから
無くすようにも成った。


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