18. 売れに売れたGWと 正月オールナイト

 

あるGW、何年か憶えていない、店長が大学時代の旧友が結婚するので
そのGWの中日は休みで、その分スケジュールはあつめ、
ぼくはTOPにはいり、6時前からスタンバイをし、いっしゃんとやなちゃんとで
キッチンで8時オープンのモーニングと、スタンバイをどかあげしていた。
三宮の店は正確には二宮町という、すこし繁華街から離れたところにあり
その店の裏手のまちには、数多くのラブホがありました。
そこに若いカップルが車で神戸を目指し、そこに泊まり
翌日、三宮のすかいらーくでモーニングを食べる。
そういうお客さんが山のように来て、モーニングからほぼ満席になった。
大変なことが起きつつあり、厚切りパンはすぐに売り切れ
近くのローソンでパンを買いに走った。
朝からドかあげのスタンバイのお陰で、なんとか、やり抜き
そのまま、ランチアイドルと満席が続き、昼過ぎて井上さんがやっときた。
ディナーもそのまま満席。
売り上げが見たことのないくらいあがりつづけ
当初は90万くらいの予測だったので、食材が切れ始めた。
夜まで残業してたら、バターライスがきれ、北鈴蘭台まで借りにいき、
飛ばして帰ると、こんどは
「瓶麦酒とおしぼりがありませんーん」
と、ナイトの大学生がぼくにいってくる、
GWは、取引業者はみんな休みだし、あちこち電話しても
どこも売れてるらしく貸してくれない。
同期で仲の良かった西川のいる、尼崎立花でやっと借りることができた。
尼立につくと、深夜で、西川はあがりだった。
飯を食いに行こうと、フォルクスまでいき、そのまま、
おしぼりと麦酒を積んで、ご飯食べて
4時過ぎに三宮の店にもどり
店の駐車場で2時間仮眠して、そのまま仕事に入った。
前日の売上げは136万。二時店では驚異的であった。
しかし、芦屋店では140万を売ったとか、どうやってうるのだ?
驚いた、さすがの有名な山田店長だった。
山田店長は関西一期メンバーで、のちのち縁のあるひとであった。
次の日、井上さんと店長が僕に気を遣い
夕刻で帰るように、言ってくれた。

当時は、本当によくお客さんが来てくれた。しかも単価の高い、
カップルはデートの舞台に、家族連れは、祖父母をつれて、売店のおみやげを
孫にかい。万札が飛び交う。

そんなこんなで、味を絞めた事業部は、大晦日元旦オールナイト営業を
全国でしだした、
近くにおおきな神社やリゾートの場所があるところや
繁華街のあるところなどで、もちろん、高見店長はやる気だった。
ぼくは、棚卸しやレジ締めのことが心配でしたが、前倒しで大晦日のお客さんが切れる
時間にやることで解決した。
ちなみに、このオールナイトは何年か続いて、売り上げに貢献し続け
尊敬する茅野社長は、大喜びであったが
数年たち、どんどんレジを前倒しにしすぎ、元旦の売り上げを上げるべくして
大晦日の売り上げをショートさせるせこい数字マジックがばれて
その後、茅野社長は激怒したという話を聞いた。
だんだんこの頃から、数字をごまかしたり、細工をしたり
自分の成績をよく見せるというのが起こり始めた、知らぬは裸の王様という
危険な状況である。
話がそれた。

正月オールナイトは、全国でとんでもない数字、300万とか400万?
とか、どうやったらできるの?と、思う数字が出てきた。
1時間、単価高くても10万か12万売れるのがせえいっぱい
厳密に、24時間で10万なら 240万。それを越えて300万というのは
万歳!を言う前に時間帯客数、前後の売り上げ、客単価の推移を
みなけらば成らない。
しかし、数字は結果オウライ。
終わりよければすべてよし、厳禁に勝るものはない。
チェーンストアの上場企業の宿命というようなものです。

その三宮で元旦にとんでもない事件が起きた。
駐車場がせまい。従業員も車でくるので、何台も占拠。
満席にならないのに、駐車場ではいりきらず、お客さんが去って行くのである。
たまりかねた高見店長が、バイトたちに車を路上に出すようにお願いした。

しかし、そのバイトのひとり、自分の車を愛するひとだったのだが
当て逃げをされて前をかなり損傷したのだ。
バイトは、怒り、店長に損害賠償を求めた。
16万ほどだったようだ、どうするのか、話し合ったようだが
店長に責任があったので、自腹で払うことになった。
あまりにもそれが店長が気の毒であるのでなけなしの給与
当時は13万前後だったが、5万、ぼくは店長に払った。
それでも、店長はたいへんだったろう。
後にぼくもとんでもない賠償で払う羽目になることに・・。

そして、その事件がおきた正月オールナイトの一週間前に
ぼくは、新たなる恋に落ちようとしていた。
半年かけて編んだ手編みのセーターと
ぬいぐるみをクリスマスのイブにもらったのだ。
ぼくは、ずっとバイトには手を出さないつもりであったが
ここから、ぼくの寅さん人生が始まったといえよう。

この項終わり。
2018/04/05




今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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