34. 栗林の激務 2

母親はもうとうになくなったが、母は常に、ぼくの就職先を懸念していた。
就職活動のときも、どないすんねん、といい、反対であった。
できれば、父の会社か、コネの効く会社か
行かせたかったようだ。
しみじみ言われた言葉が胸に刺さっている。
「なんで、あんなとこ、いったんや・・」
そういわれて、ずしんとくる。
しかしだ、ぼくがつらくてパワハラされていて、つまらんしごとで
辞めたいと思っていたのときは
「我慢して辞めるな」といっていた。しかし母の前ではぼくは決して辞めるという弱音ははかなかった。
父も死ぬまえには

「おまえが、そうなったのは、おれのせいで、おかんが
俺の会社に入れなかったからだ、といわれた」
と、言っていた。
まあ、否定的なことばかり述べてしまったいるのだが、
それでも、ぼくは辞めなかったし
逃げなかった。

あの頃、すかいらーくの階級は高卒が一等級から始まり
大卒は二等級からはじまった、三等級は副店長クラスで
四等級は店長クラスだった。
やっと、栗林にいたころ、四等級になった。
アシスタントマネジャーという辞令がでて、店長は目前であった。

ある平日のディナーで、忙しくる時間、
12名の団体様がきて、オーダーも重く、ぼくはキッチンにはいり
必死でやっていた。
そして、サービスエリアにあるおじさんがふらりと入ってきて
キッチンで必死にその12名の団体のオーダーを作ってる僕たちに
そのおじさんは怒鳴り始めた!
「おまえら、何してるんだ!」
ぼくらは、何のことかわからず、きょとんとしていた。
「おまえら、あそこのテーブルをかたずけないで!なにしてるんだ。
俺は、この店の水道工事をした会社の社長だ!」
ぼくらは、相変わらず、なんで怒られているのか理解できなかった。

「おまえらの会社の社長をよく知ってるんだ!」

ぼくは、内心、またでたよ、と、思った。
江戸幕府の外様藩士の下級武士に、旗本の武士がえらソバルのと
おなじだ。

ぼくは、きついキッチンであるのに、その怒鳴る社長の団体のオーダーを作るのが
遅れるけれど、数人の人間をその怒鳴る水道屋の社長のおっさんのテーブルの
近くのテーブルを片付けにいかせた。

栗林公園の店では、
「おまえの会社の下田監査役を知ってるねんゾ!」という訳のわからない
お客さんもいて、それはヘルプに来ていた、同期の上田さんが
「それがどうしたんですか?」
と、開き直ったという伝説が残る。
下田監査役というひとは、若いすかいらーくの会社で、社員にひたすらひたすら
説教を垂れる役目のお方で、茅野社長がわざわざ、監査役として迎えたというひとでした。
他には番場調理長というかたもおられ、広島のときは、すいしん?という会社に知り合いがいるらしくやたら広島に視察にきていた。

なにがどうのこうの、というわけではなく、
社長から役員から本部長から部長に、部長からスーパーバーザーに
スーパーバイザーから店長に、えんえん、文句の連鎖が降りてきて

ほんと、迷惑な感じというのが一番下の平社員の気持ち。

で、考えれば、ぼくらが店で働いた稼いだ金が、水道やに支払えるので
いわば、顧客は僕らであり、
そのときは、ぼくが偉くなったら、この水道屋を探し出して指名停止にしてやる。
そう、思ったものです。
数ヶ月後、ぼくが丸亀で働いてるときに
また、この水道やの団体さまがきて、同じようにこのばかちんが
サービスエリアの中に入ってきて怒鳴られた。
二回もです。

「いつも、お世話になってます、水道工事のほうはいかがですか?」
と、聞いてくるのが道ではないか。

まだまだ、この件で話が続く、
大雨が続いて、天井の空調から、水が漏れてきてる。
これは、もう、欠陥であって、なんどもなんども同じことが他の店で数年に
渡り起こってきた、そのときも水がナイアガラの滝のように
天井から漏れてきていた、配管がわるいからだ、
ぼくもよせばいいのに、ハシゴを持ってきて
屋根裏の状況を確認しようとハシゴを登った、点検口を開けた瞬間。
たまっていた水がぼくに降りかかり、
ハシゴはすべり、床に転落、ぼくは、足を強打し、助けを求めた。
新入社員の子が慌てて飛んで来て、車で病院まで運んでくれた、
レントゲンを撮ると、骨折はなく、打撲だけで、電気治療が必要と診断。

ほんと、怒鳴りたいのはこっちのほうだった。
ぼくはまだ、若かったし、
たぶん、尊敬する茅野社長は、ことあるごとに
「若い社員をしかってあげてください」
と、言いふらしていたんだと、思われ。

という話だった。
広島ではないことが、四国ではこういうわけのわからない言いがかりのような
権威を振りかざすクレームが多かった。

おかんの、
「なんで、そんなとこ、いったんや・・」
という言葉がリフレインされるわかです。

自分が経営者なら、どうするか、そんないい加減な工事をして怒鳴るやつに
仕事を回すのはないだろう、
いまでも30年たっても、右足は痛い。






今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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