33. 栗林の激務
香川の店はどこもイベントや活況期を除き、どひまであった。
その中では栗林は忙しく、たいへんな店であった、さすがいい立地を見つけていた。近隣の栗林公園は、オープンが日の出ということもあり、観光客のモーニングがとんでもなくはいった、
24時間営業だから、朝の六時からきっかりモーニングがあり、
日曜日祭日は、必ず満席になった。
それをしつつスタンバイをするのだからたいへんで、
深夜明けの社員がフォローなどしていた。
特に、K社員がとんずらしたので、実質岸本君という社員が
カバーをし、働きまくっていた、彼は大阪から広島にいき、
観音本町で西川くんと、3人体制を仕上げ、
再び、栗林メンバーに入り、まあ、認められたいたのだろう。
ぼくと岸本くんのみであった、広島から四国にきたものは
彼は、その後、もう一度、母店の朝霧にアシスタントマネジャーとしてはいり、その後、須磨浦の店長に昇格した。
しかし、当時の須磨浦も売れに売れており、
長年の激務により、嫌気がさしたのか、退職してしまった。
岸本君は、本当によく体を張って栗林を支えていた。
栗林はくせのある準社が多く、営業は強いが遅刻や無断欠勤などたびたびあった。
土地柄か、大角GMが甘いのか、僕は新参者だったので、
様子見であった。女子がキッチンに多く、
僕が作業割り当てを変更し、ここをしてください。
というだけで、泣き出したり、出て行ったりする女の子がいた。
なんというわがままなやつかと、驚いたことがある、
しかも、その女の子は、社員になりたいので、すかいらーくアカデミーという、当時あったすかいらーくの学校みたいなもので、
そこに入りたいとかいってるようでした、ぼくは、内心、絶対無理だとおもっていたら、案の定試験前に辞めていた。
きでな君という入社2年目の須磨のバイト上がりの面白い社員がいたが、彼はそこら中フォローしまくりで、バイトの女の子を甘やかしてるのか、優しいのかわからないが、人気があった。
しかし、誰しもが、社員Kが失踪したことで、傷ついており、
得体の知れない闇のような空気がながれていた。
ぼくが新参者といったのは、その店ができてオープンして
安定してから初めての社員であったからだ。僕自身にも問題があったが、店自身にもかなり問題はあった、
しかし、大角GMは、あの部長からぼくのことをいろいろ言われてるみたいで、まあ、作業習慣とか、乱雑とか、そういうことだろうけど、僕に対しては手厳しかった。
あるとき、大角GMは、サービスエリアで、悩んだ顔で
ぼくを見つめていた、誰か何か言われたのか、
「おまえはな、この店で、浮いているんだ!」
何を意味して言ってるのか、理解しがたい言葉だったが
ぼくは浮いて当然であると思っていた。大角GMも一番の信頼を置いていた社員Kが裏で不倫して失踪したのは、相当落ち込んだはずであるとおもうし、
いい店かどうか、わからないが、
ことあるごとにぼくは、大角GMとぶつかった。
考え方が違うといえばそれまでであるが
しかし、大角GMは本当は優しく、営業のことは一番考えており、
尊敬する人でもあった。彼は、なんども、母店のGMであったにもかかわらず、社員の不祥事で左遷させられていた。飲酒運転の大事故を起こした社員がいたり、バイトの女の子におしかけた社員がその父親の激怒をくらい、人事にクレームがいったり、
苦労苦労の連続の関西一期メンバーであった。
しかも、大学の先輩でもあったのだ、
ぶつかったというか、
あるとき、ぼくが毎日のように事業部にだす日報の下の
改善提案の欄に、いろんなことを書いて送った。
しかし、大角GMは、もう出すな、出し過ぎや、と、怒った。
本部が混乱するだろう、本部の仕事を増やすな。
というのが理由だ。
しかし、ぼくは入社時から作業や管理に対して現場は意見や提案を行わないといけない。と教えられていた。
作業はすべてゼロベースで考えなおし、それが絶対であると
思ってはいけない、それで会社の進歩が止まる、
そこが視点の違うところだった。
そんな中でも中途入社が栗林にもたくさん入っていたが
なかなか、続かず、辞めていった。藤田くんという社員とは気があいいろいろ話したが、彼はあるとき、ぼくにこういった。
「社員はみんなこの店に愛人がいるんですよ」
「ほんまかいな、GMもいるんか?藤田君もそうか」
「いやぼくはいません、GMもいません、GMは知らないだけです」
ぼくは、ため息が出た。
またそういうことか・・。
大角GMは、日曜日の入りが11時であったも、8時過ぎに店の来て車の中で新聞を読み、万が一、観光バスや大きな来店がありそうならと、備えていた。それを見てぼくは感動したのを憶えてる。スケジュールは絶対に僕に渡さなかった、まあ、新参者だからしかたがないが、よく店長室の中にこもって書いていた。しかし、疲れかいつもよく居眠りをしてた。そういうときは、控え室と店長室の明かりを消して、そっとしてあげていた。
GWやお盆や正月はとんでもない忙しさで、家庭を顧みる暇が無い、うちは母子家庭とおんなじだ。というのが口癖でありながらも
必ず、夏休みは、仲のいい土居さんと家族同士で小旅行をされていた、これも偉いな、と、思っていた。






今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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