70.  伊丹瑞穂 17 

オープンで頑張ってくれたバイトパートの人々、
そのほとんどは辞めてしまった。オープン景気はすごく、厳しくて
誰も根性なしではついて来れない、広島でもそうだったし、四国でも
そうだった、しかし、その採用訓練に対しての労力といったら
とんでもない時間とお金の無駄である。

よく考えれば、まあ、バイトでもしようか、
という気持ちできて、まさか、メインでしごかれるとは誰も予想しない。
そして、バイトの先輩がいないから、やって切れるかどうかの
イメージができない。

そんな中、ぼくが言い続けたのはそういう中で残ってくれた者こそが
リーダーになれて、あとのものを引っ張る、
という考え、その考えでやって、各時間帯にメインのリーダーができて
組織としてはがちがちであった、ランチのキッチンを除いて・・。

でも、やがて、月日は経ち、どちらにしても辞めてゆく、
卒業というやつ、当時はフリーターも少なかった。
それに、フリーターというのは採用するのは嫌でした。
世間ずれして、なんでも天秤にかけて、なにしろ、突然来なくなる
という不安定要素が強すぎる、それに、長い時間入って稼がないと
いけない、もしそのラインが消えれば、何人も採用が必要。
短い確かなラインを数多く抱えることが大事であった。
しかしだ、採用できるかどうか、そこにかかる、
それに、採用面接にその人材がくるかどうかでかわる。

あたりとか、はずれとか、つかえるとかつかえないとか、
本当に失礼このうえないことを店長たちやベテランバイトはよく言っていた。
これはよくないとおもいつつも、
やはり、一をいって十をわかるものと、何遍一をいってもわからないやつも
いるわけで、素人集団のすかいらーくの店長業務のたいへんな
ところであった。

教えても辞め、教えても憶えず、
繰り返しているうちに自分のモラルが下がり、必然的に態度が横柄になる。

瑞穂2年目の春は採用が芳しくなかった、メインの人たちが何人も卒業。
3年目の採用ができたが、フロアーのオープンメンバーが卒業。
入れ替えになった、
社員もどんどん代わり、店のレベルも落ちていった。
社員が変わって店のレベルがおちるのは店長に力が無いからだ
よく、大川原さんに叱られたが、
店は社員でほとんど決まる、実務をこなすのはほんとんど社員。
それに、オープンで基本にこだわっていたのに、
後からきた河本は既存店のヤバイ店ばかり渡り歩いてきて
なにしろ、失踪事件をおこした、

ぐだぐたと、3年目を越えたところで
すかいらーくはたいへんなことになろうとしていた。






今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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