66. 伊丹瑞穂  14 

店にとっては異文化に近い新しい社員。こいつがウイルスをばらまくか、いい影響を与えるか、不安だった。なにしろ、より抜きのいい社員がオープンで配属されて
あとは、おつりもでないようなパターンが多い。

新規オープンメンバーも少しずつ抜けて、その残ったのがリーダーにした。
当時は数年前から本部から事業部お達しの
ユニットマネジメントというのを導入することが目標とされており、
それぞれの時間帯に、キャプテンというリーダーを置いて、彼らだけで
やれるようにする、ということだった。
ある程度の組織はできており、立ち上げで苦労した分、店としては安定していた。

翌年、1993年にフロアーのディナーメンバーが卒業で全部辞めてしまい。
大打撃を受けた。1992年はほとんど採用がうまくいかなかった。
労働時間との攻めぎあい。
訓練時間が馬鹿ほどいるのだ、きちんと教えようと思うとそうなる。
春前の採用が勝負で、なんとか数名の人間が採用され
訓練はわざわざ、ランチの市川さん、小笹さんが、アイドルでおこない、
なんとか、入れ替えは無事に終えた。

そんなころ、経費削減で、事業部制のくくりがでかくなり、
九州から近畿までが第七事業本部となり、エリアマネージャー制度が
始まった。

大川原さん指導でより密接なものとなり、
毎週エリア会議というものを実施。まあ、それはほとんど
売り上げ客数に連動して労働時間がコントロールできているかどうか
の確認がほぼ大きなものだった。
売り上げは芳しくなく、どこの店でも同じだが
今考えると、真逆のことを同時にやっていた。
複雑なメニューをしながら、複雑なオペレーションをし
ユニットマネジメントというもので、労働時間も使い。
それぞれのユニットで会議までやっていたし、手当も感謝金もつき
時給は10円から180円プラスまでの昇級があった。
時給単価が上がって当然である。
で、三人体制から二人体制に移行すると、社員の給与は高いので
その分の労働時間は使えるはずなのだが、そこは甘くなく、
また、バーがあがるのだ。
客数を上げるために、ある店長などは客数を多めに打ったり、
自分の労働時間を0にして、有給にしたり、無駄な抵抗だが
このころの労働時間に対しての締め上げは相当な者だった。

前にも書いたが、ランチキッチンの生産性の低いの揃って辞めて
フロアーメンバーがキッチンにはいり、労働時間の適正化になったときも
実は、ほっとしたものだった。
市川さんが、労働時間節約のために、ラインまで引いてくれて
そのラインのシビアは僕以上であった。
「こんなもので、できるのか?」
と心配したものだ・・。







今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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