62.  mizuho  10

 店が安定し、軌道にのるのは、
たいてい、キーパーソンの登場からである。

オープンからがんばったキッチンディナーメンバーはGWにはほとんど止めてしまい。
数名になった、そんななか、声を出し元気に営業し、指示を出す、ふなつきくんという
のが4月以降現れた、その声はキッチンの雰囲気を変えた。しかし、彼は
ナイトの女の子に恋をし、降られた。そして、またしても辞めてしまった。
フロアーのディナーメンバーは安定し、ナイトもいたので、フロアーの植村くんを
福久くんが、無理矢理キッチンにいれた。
彼は何事も嫌とはいわない性格で、どんどんキッチンを憶えてゆき
そこから、キッチンに細川君や木村君、熊谷君などはいり、安定した。
やはり、きっかけはふなつきくんだった、そのあとの植村君の人がらにもよる。
フロアーも安定していたので、欠員で苦しんでいた尼崎次屋店に毎週
ぼくと、女の子4時間とでヘルプに向かった。
新店で半年も経たないうちに他の店にヘルプにゆくほど
モラルが高かったのだ、必然的に、ディナータイムは福久君が一人で回す。
トップは蔭木くんか、ぼくだった。
トップで9時間働いて、ただ働きで他の店のヘルプに入る、
結果的に、福久君のリーダーシップが発揮されてゆき、秋、冬を迎える頃には
余裕の店になっていった。
ぼくが29歳から30になろうとしていたときだ。

もう、その頃には、四国の彼女には降られ、その前の他の元彼女は結婚して
幸せな家庭を築き。
ぼくはといえば、店が安定するまえに、かなり精神的に参っていた。
仕事でごまかすうちはいいが、店が安定すると、
まったく、やることがなくなっていた。しかも、自分のアパートは
塵屋敷になり、新聞は読むひまがなかったので数ヶ月分が山づみ

「俺は、いったい、なんのために、働いているのだ」
いらないことを自問自答していた。

正月を迎え、斉藤さんがヘルプをください、ということで
僕の店から二人社員をだし、ぼくひとりでやった、

満席で、しかも料理提供は15分以内ほぼ100%
ぼくは、入り口で店を見ていた。
「ああ、いま、この店はバイトだけで運営されている・・」
感動の一瞬だった。
新店を3月にオープンさせて、正月にはこうだ、

しかし、店には:完成というものがない、砂のお城ですぐに壊れる、
なんせ、流動体の人員ですから・・。






今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

注意、このページはすかいらーく本部さま、会社さまとなんら関係のあるものではありません、

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