57. 伊丹瑞穂店 07

お店がオープンし、2週目も大角さんは、店で8時間もDを取ってくれた。
店が人気が出て注目されたのは、他社であった、
当時は関西だけは、ロイヤルホストは大阪ガスと会社を作り、OGロイヤルとなり、
瑞穂のできる数年前に、171号線の角地の立地を、すかいらーくと、ロイヤルが争い、結果、賃料の差でロイヤルが勝ち、伊丹大鹿店がオープンしていた、
おそらく、その負けたことと、そこが売り上げがいいことに注目し、立地は宝塚に
抜ける道で、立地を探したのだろう、当時は、農地に対しての税制が低く、
市街地の農地に対しての課税強化もあり、また、米農家では採算割れも多く
瑞穂の土地は田んぼであったが、オーナーを説得し、店を建てていただいた。
そこで、店に視察にきたのが、OGロイヤルのお偉いさんであった。
店長と、他5人くらいも・・。ぼくは、一番美人でサービスのよいひとを担当させた。
よく見ると、お偉いさんの1人は、ぼくが入社前に内定辞退して、さんざん、個室に閉じ込めて説得しようとしたひとだった、そんなことは彼は忘れていただろう。
彼らは僕らを脅威に感じたのか、毎週、店長に僕の店を視察させるように言ったらしく、ロイヤルの店長は、よく来られていた、
「店長の店は身だしなみがほんと、いいですね、サービスもメリハリがよく、きちんとされていて、案内も早く、本部のれん中も感心してましたよ」
そういわれた。
「いやまだまだですよ」
ぼくはそう答えた。
「ロイヤルもね、フロアーの女子の髪型を統一して、きちんとシニヨンにすることにきまったほどなんです。」
僕は、そう言われて内心驚いた。
それから、今度は、デニーズの店長が来た。僕に挨拶したいと呼んでるという、
名刺を出して、挨拶を交わした。本当にきちんとしたかただった。
そのデニーズの店は伊丹車塚にあり、福久君のよると、きちんとした店で会ったという。
奇しくも、ぼくは、その後7年後、
神戸で辞めるので近隣のデニーズの店長に挨拶に行った。
というのも、デニーズのオーナーもガストのオーナーも同じで、立地も近く、24時間営業で深夜の客もとられていた、辞めたのはデニーズのせいではないが、
店長と話してると、サービスエリアから、客席を凝視してるひとがいた。
たぶん、スーパーバイザーだ、そのひとが、そのときの挨拶したひとだったが、
彼はまったく気がついていなかった。
デニーズの店長も、僕の店を褒めてくれて、今度は上司を来るといっていた。

自分の会社には全くといっていいほど、いい評価はくれなかった、
しかし、皮肉にも競合他社から注目されていた、そのことは、まったく事業部のひとは理解していなかった。何よりも、意図的に放置されていた。
3人で苦労させて、どうなるか、実験だ。
訳のわからないことを部長はいっていた。このころは、ずっと、部長は馬鹿だと
思っていた、でも、下手な馬鹿社員より、安定する速度は速い、しかし、社員が変われば店も変わる。
そういう、自分の考えもいけなかった、ごまをすらないと出世はできない、
部長が馬鹿だと、思うと、しらずしらずのうちに、態度にでてしまう。
自分が店で、バイトに馬鹿扱いされたら、むかつく、それとおなじ、

ロイヤルホストとの戦いは数年にわたり、
勝ったり負けたりであった。立地の岸田さんは、何回も店にきて、いろいろ情報をくれた。なんとか、挟み撃ち作戦でロイヤルをやっつけると、
地図を見せて、候補地を教えてくれたが、至近距離でもあり、共倒れになると
反対した。しかし、岸田さんはその後退職しても、継続して、計画は進み
2000年前後の乱発出展のときに、とうとう、その計画は実行された、
結果は知らないが、うまくゆくわけがない。

後日談、挟み撃ちにし、ロイヤルは気がつくと閉店していた

店の評判はよく、オープン景気も乗り切ることができた、
しかし、店のあちこちから異常報告が出てきた。
新しい店にもかかわらず、とんでもない店であったのだ
つづく・・。






今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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