48. 伊丹瑞穂店 その一

5月に来て、翌年1月末で異動、半年の運命だった。
しかし、其の半年はいろいろなことがあり、濃密な経験であった。
四国でのサイクルは半年ごとで、まあ、必要とされているのだから
と思えばいい、
ぼくが異動するためには誰か代わりがこないといけない、
誰かがまず、昇格し、
長い玉突きが始まった。朝霧の母店の管田くんが尼崎次屋の店長になり
其の店の福西君が、尼崎立花に異動、尼崎立花にいたAさんが、今度は岡山に飛ばされ岡山に居た関西二期の只野さんが、わざわざ、観音寺に飛ばされてきた。
家族も居て、引っ越しはたいへんそうだった。
「なんで、おれ、こんなに飛ばされるのか・・」
と、言っていた、その前は姫路から岡山に飛ばされたのだ。
「でも、これから、観音寺はもっとよくなります、」
と、ぼくは励ました。ぼくはその良くなる前にお役御免、
現に、そのあと、業績も上げ、彼は昇格し、今度は徳島の売れる店にいき
その後、大阪にもどり、瀬戸内海をぐるりと回る、
「もう、君の時代やなあ!」
と、只野さんは言った、僕の時代?
そんなことは結果無かった。

ぼくは、家を探しに、店長会議のあと、伊丹にいった。
が、まったく、家がなかった、
バブル真っ盛りでもあり、其の店の周辺は、企業に押さえられ
なかなか、入れない。

不動産屋に何軒かたのんで、四国までかえった。
二回目に探しにいっても見つからず、少し離れた所のワンルームを
仮契約。まだできていないのだ。
そして、再び、不動屋さんから電話あり、店の5分くらいのところのワンルームが
建築中で、空きがあるからどうか、というはなし、
ぼくは、仮契約のお金を流して、その物件も見ずに決めた。
店から近い、というのがポリシーだった。
睡眠時間の確保でもある。

ワンルームがまだ完成していないので引っ越しはできず
面接が始まるので、荷物は松尾にたのんで
単身、神戸を目指した。
彼女は泣いていた、またしても遠距離が始まるのかと思うと
憂鬱だった、
毎晩毎晩手紙を書いた、

面接時間にまにあわず、事業部の鈴木さんが面接をしてくれた。
夜になって、実家に帰り、
とんでもないやつから電話がかかってきた。

まだまだ、続きます





今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

注意、このページはすかいらーく本部さま、会社さまとなんら関係のあるものではありません、
問題のあるかたはメールでおしらせください。osatani@osatani.com

48. 伊丹瑞穂店 その一