37. 丸亀店長時代02

安定した店舗で、料理ロスも安定し、あとは当時会社が進めていた、
ユニットマネジメントとかいうやつで、バイトパートをそれぞれ組織管理を
自主的に行い、その中でリーダーを育成するというものだった。
リーダーはキャプテンといい、これはSVが承認しないものはだめだった。

松山1号店がオープンするということで、関西からヘルプ御一行が
車で丸亀まで来た、もりてんや、そのころ退職する龍造寺さんや
社員たちがきた。
丸亀で飯を食い、そのままひたすら松山を目指した。

当時人気者であった、田原俊彦さんが香川でコンサートがあり、
団体で、丸亀のすかいらーくで食事できないか、
と、電話が入った。
丁度ファンだった女の子が電話を受け、狂喜乱舞して
とりあえず、小店舗閉鎖し、裏から入ってもらうこととし、
というのは、相当な追っかけがいて、大変なのだ。

実は、余談ながらこのときから7年ほど前、学生のときに
新大阪駅で僕はバイトしており、そのときも田原俊彦さんと
遭遇した。そのときも新大阪は相当なファンがきており
警備ができず、地下のぼくらがいた列車食堂の基地の近くの
トイレに隠れており、ぼくがそこに入り、おしっこをしているあいだも
あのとしちゃんは、自分で鑑をみて髪をさわっていたのを憶えている。

そのとしちゃんが来る?
しかしだ、再びスタッフから電話があり、おなかを壊してるので
いけない、キャンセルということであった。
相当、ファンのバイトの女の子はがっかりしていた。

ぼくが店長になり、彼女はたびたび四国に来てくれた。
ぼくは、たまたま、テーブルの上に置いてあった、
いつもの、彼女のスケジュール帳があり、
ページが開かれていた。

そこを何気なく見ると、
ぼくと、合っていないのに、合っていることになっており、
しかし、よく見ると、ぼくはさんずけて、同じ名前のくんずけがあり、
ぼくは達夫という名前ですが
達夫君のいえのGO、達夫さんの家にGO
と、書いてあり、これは、どういうことなのか、考えた、
基本的に人を疑わないので、まさか、二股かけて、浮気してる
という事実をしるのはその後であった。






今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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