41. 観音寺建て直し其の②

観音寺は丸亀よりも採用はできたのだが、
あそこにいくと、厳しい、しんどい、とか噂がひろまり、
なおかつ、社員たちはやる気を失っていたとおもう。
ここもコミニケーション能力が店長にあったならば、課題設定や
目標の共有化があれば、変わっただろう、
もう、この店は閉店しかありません。
と、言い出す社員が現れ始めた。

夏前になるとどんどん応募がきた、
このチャンスを生かさないと思い、訓練の日々が続いていた。

西宮の研修店から大蔵という若い社員が送り込まれた。
代わりにオープンからいた江島が須磨に異動となった。
そして、森川さんというこれもオープンからいた社員、
丸亀のフロアーや屋島のフロアーなど松田店長のフロアーオペレーションを
理解し、作りあげた逸材であったが、
観音寺ではなすすべもなく、江島と、独特な雰囲気になっていた。
やはり、残った6人は大いに不安がり、ぼくを警戒しだした。
社員入れ替えをまず行い、雰囲気を変えて
明るい店にしようと思った。

6人の中にSさんというフリーターがいた。とてもまじめで、オープンメンバー
であった、東京で仕事していたらしく、辞めて故郷に帰ってきた。
家は大きな会社をしており、バイトしてるのが不思議だった。
ある年配の女性を採用し、スパゲッティなどを調理するところにいれ
彼に訓練をさせた。が、年配故に覚えも悪く、
彼はとうとう声を荒げ、教えだした。
ぼくは其の姿をみて、江島を思い出し、ああ、これも悪い原因の一つか
そう、思い、其の二人を控え室に連れていって話をしようとした。
しかし、彼はいきなり、ぼくにおこりだした。
「なんで、こんなことが憶えられない人を採用するのですか?」
その人の前で言い出した。当然、其の年配のひとは怒ってその場で
辞めていった。
ぼくは、呆れて、何から話そうかと考えるまえに
彼は
「あなたの考えにはついていけませんので、辞めさせていただきます」
そういって、辞めた。
まさに、これがわるいのだった、
ぼくは、まったく、止める気も無く、ああそうですか、と、答えた。
たぶん、彼もみんなもなんで止めないか、と、疑問に思ったが
ぼくは、あの言葉や態度が許せなかった。
みんな、最初は不安で仕事を覚えようとして緊張してるのに
自分もそうであったはずなのに、言い切る態度は許せなかった。
辞めてくれてありがとう。そう、思った。







今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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