42. 観音寺の暑い夏2

リーダーのSさんは、自分で匙を投げて辞めたのにぼくが辞めさせたという話になっていた。残っていたメンバーは彼が辞めるのは考えられず、店長が悪いからだという話をしていた。
ラストではランチの悪口をいい、ランチではラストの悪口を言い、フロアーはキッチンの悪口を言い、というふうに、あちこちで不穏な動きが出てきた。誰かが陰口をたたきまくっていた。
ぼくが観音寺に来て、7月から8月にかけて、どんどん新人を採用し
毎日訓練をし、ヘルプもたくさんっきてくれた、
三宮時代に世話になった高見さんも事業部のオフィースMGとして、
心配してわざわざ辺境地まで見に来てくれた。ぼくが彼女を他の社員に取られ、やけになっていないか、いつまでも激務の店舗が続くので
「かわいそうだ・・」と、嘆いていた。

店舗担当は木戸SVになり、こちらも辺境地まで何度も見に来ていた。
そして、なぜ、不穏な動きが水面下で動いてるか、ということで
6人残ったオープンメンバーの陰口をたたいていた女性のOさんが去っていった社員に、僕の方針ややり方が酷いというので相談をし、それもわざわざ、会いに来てまで
そこで、介入をし、木戸SVにまで、報告をし、木戸SVもぼくに隠れてなんども話し合いをしていたということ。
ぼくは、頭にきて、その社員に電話をした。

「自分が去った店のことは、首を突っ込まないのが原則だ、なんで、突っ込むのだ。」

彼は的を得ない返事をしてきた。

「おまえらが、作った店の後始末をぼくらがしてるんだ、言ってみれば
おまえらが原因だ。悪いのは自分たちのせいではないのか?」

「いいや、ぼくはそんなつもりでいったつもりでないので、話ができないので木戸さんに言ったんです」

ぼくは、頭にきた。

「おまえなんか、辞めてしまえ!」
「はい、わかりました、辞めます・・」
「なにを簡単にいってるんだ。自分のことをわかってるのか・・」

夏過ぎて、繁盛店の本土の既存店に異動した彼は、あれだけ
口やかましく、観音寺ではバイトパートに指示や文句をいっていたのに
彼は、何も言えない社員になっていた。
そこの店長は
「手づかみで食材を使用してるものが横にいながら注意もできないんだ」と、呆れていた。
彼を思うに、やはり、言えるやつにはきつく言うが、言えないやつにはだまる変なところがあった。
結局、其の社員はぼくがいったとうり、辞めた。
辞めたほうが彼にとってはよかったとおもう、向いてない、もっと、苦労をするだろうし、バブルの時代だったから仕事はある

ぼくは社員の岡見くんと徹夜で相談し、話し合いをした
結論はでた、
ぼくは、やってはいけない最終兵器を使うことにした。
その問題のおばさんをくびにすることにした

朝一で、話があると呼び出し

「もう、あなたはこの店に必要ではないので、辞めてもらいます」

彼女はいかり、いすを蹴って出て行った。

解雇するのは慎重に、辞める方向でいじめのようにもっていけとか
いろいろ、聞いていたが、あのときは、悪口を言いふらし、まるで自分が陰の店長にように振るまい、乱すことにぼくは許せなかった。

しかし、店は平和になった、悪口陰口をたたかれてるひとびとは
よくぞ、店長いってくれた、と、万歳をしていた。
6人のうち、そのおばさんの味方となっていたキッチンのひとも
「実は最後のほうはおそろしくなってたんです、何を言い出すかわからないと・・・」

しかし、ひと月たって本部から僕宛に電話がはいった。
労働基準監督局から本部人事部から、事業部に

「解雇の方法がよくなく、解雇予告からひと月間の補償を求めるように
クレームが来ています・・」
と、こっぴどく、怒られた。ぼろくそだった、頭ごなしだった。
聴きながら、ぼくは、あれからひとつきも放置していたならば
ぼくも前の前の前の店長のように
無人店舗を運営するようになった、ああするしかなかった。
と、思いながら、話を聞いた。
もちろん、再び、ぼくの上の評価はこれでまた、地に落ちた。
ぼくがまた怒り出すと話がこじれるので、パチンコ社員の松尾が
呼び出され、金の入った封筒をそのおばさんにわたし、
サインをもらった、



ぼくは、情熱をもって、志をもって、
社員を統制し、三人体制と年商一億の地域に愛される店を
目指していた。それだけだ・・。

しかし、ながら、ぼくにも当時、やばいことがあった。
彼女と別れ、ある女の子に恋をしてしまったのだ。

其の話は次回。






今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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