47. さらば観音寺。1991年

秋になり、有名な祭りがはじまった、
町全部が祭りで休むのだ。町々にある、ちょうさ、という
だんじりのようなものを出すのである。
前の店長はそれを知らず、しかも、其の寄付を全部断って、
大変なこととなった、
基本的に、寄付やそういうお金は本部では禁止、
マニュアルではそうある、

そして、観音寺の村人は怒り、寄付をしないすかいらーくの店の
周りを暴走族のように、ちょうさで取り囲んで抗議したという、
そういう話を聞いて。
ぼくは、事業部に電話をし、寄付をする許可を申請した。
寄付というか、お祝いであろう、
しかし、一つの町に1500円で、10数件あり
そのお祝いは集金に来た、同じ町から二回も来ることがあり
それは断った、表にして、支払った。
ぼくの年の祭りはわざわざ、みんな、前まで来てくれて歌を歌い
祭りでにぎやかになった。

いくら全国チェーンであっても、その土地の習わしに従わないと
生きていけないのである。

秋になり、平和な店になり、新しい彼女が出来、
しかし、それが問題で
相手は高校3年、ぼくは、いつも真剣であるから、
でも、田舎の町では有名になり、イヌでも知ってる話だった。
相当高校の中でも言われてるらしく、それでも
店では内緒扱いであった。

12月になり、店長会議があり、終わって、食事会にいくことになり、
そのときは売り上げもよく、予算もあり、わざわざバスで
レストランに移動。
しかし、ファミレスの店長はだめだ。
早食い、犬食い、大食いの癖が直らず、

そして、部長が、ぼくのところにきて
「こんど、兵庫県に5年ぶりに新しい店がでるんだけど
君がいかないか?いってくれないか?」

と、耳打ちされた、

ぼくは、驚いて、聞いていた、
せっかく観音寺が落ち着いてきたのに、
またしてもまたしても、新店か・・。
はああ、という顔をしていたら

「いやならいいんだよ」

「行きますよ」
むかついたので、行きますよ、と、言ってしまった。

またしても大変なことが・・。






今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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