僕の父は印刷の大手に勤めていた、単身赴任で高松に工場を作るので同じ香川県にいた。その支社が観音寺にもあり、挨拶がてら訪問した。
所長さんはなんで、すかいらーくの店長が来たのか
不思議がった。店と自分の紹介をした、最後に父の名前をだして
ああ、そうか、と驚いていられた。
売れない地方の店ではこういう訪問も大事。
印刷の関係で、観音寺で当時一番大きい「加ト吉」さんの
商品の印刷を担当された支店だった。

「じゃあな、店長、今度、加ト吉の常務つれてゆくよ!」
「は、わかりました」
話をしてると、観音寺の店ができたのも、加ト吉と印刷の会社が
絡んでいて、観音寺の店があまりお客さんが入らないので
常に心配していた。といわれた。

すぐに、加ト吉の常務と所長さんが来店された。
「商品開発の丸丸くん、元気かな?」
「はい、わかりかねます」
当然である、本部のことはなにもしらない
端の下の人間である。
メニューを見せてくれといわれ、
「このマグロご飯の、マグロ見せてくれないかな?」
と、言われた。原材料なので迷ったが
冷凍庫からマグロパックをひとつテーブルまで持って行った。
「あ、これか、丸丸の会社だなあ・・、仕入れ価格わかる?」
「いや、わかりません」
「そうか、これうちだったら安くできるなあ、ひっくり返したろうか」

当時、観音寺周辺にはたくさんの冷凍食品の会社があり
中でも加ト吉は観音寺のトップ、加ト吉の城下町とさえ
言われていた、ぼくがいたころも市長は加ト吉の加藤さんだった。
そういうものだから、すごい権力をもってる。
「社員に、朝礼で、ここに食べに来るように命令しておくから店長」
と、いって帰っていった、

翌日、わざわざ、所長さんはぼくに謝罪にきた。
「昨日はごめんね、あまり、気にはしないでください」
やんわりと、常務の横柄な態度に配慮していた。
さすがにその人はできるひとだと、思った。
案の定、大手印刷の常務にまで上り詰めた。

そして、翌日から数週間、ランチは加ト吉さんの
社員であふれた、社員の大倉と
「ほんま、すごい力を持ったひとなんだなあ」
と、驚いていた。
しかし、加ト吉は
1956年の株式会社設立から、51年にわたって増収を続ける高成長企業として有名だったが、2007年4月に過去6年にわたって巨額の架空売上を計上していたことが発覚。さらに架空売上の計上が加ト吉とJTの組織ぐるみで行われたこともあり、その信用は大きく失墜することとなった。そのため加ト吉は2007年11月、資本提携先であり加ト吉の保有を希望していたJTと日清食品の3社の冷凍食品事業統合で基本合意。まずJTが全株取得のTOBを行い上場廃止とした上で完全子会社化、その後速やかに全株式の49%を日清食品に譲渡してJTと日清食品の冷凍食品事業を加ト吉に集約、JTと日清食品の共同持株体制で経営される計画であった。しかし、2008年に発生したJT子会社のジェイティフーズによる中国製冷凍餃子中毒事件の影響で共同持株化は白紙撤回され、同年4月18日にJTの完全子会社となった  ウィキペディアから引用


奢れる平家久しからず、
しかし、加ト吉の力は絶大であった。
常務も相当、であったが、

話変わって、
観音寺店は市役所やホールなど、近くにあり
ライオンズクラブのもよおしものがたまにおこなわれ
最初の頃は、それがわからず
暇な店だったので、人も居ないときに
突然満席をくらうことがしばしばあった。

最後にオーダーしたひとは50分はかかっていた。
なんで、これほど入るのかお客さんに聞いて
それからもようおしものの掲示板を見るように
なった。

まだまだ、観音寺の話は続く・・。






今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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44. 観音寺の暑い夏 4