73. 伊丹瑞穂 20 ガスト転換

一番情けないことに、自分の大学での専攻はスペイン語であった。
このガストという意味は、無い、造語に等しい、
大学の先生にあう機会があり、説明すると、
ムーチョグストのグストのローマ字読みか?
ということを説明した。当初はスペイン料理の気軽な店というのがコンセプトであったらしい。

すかいらーくが利益のでない体質になり、
1990年のソ連崩壊を何度も何度も茅野社長は講話で最初に語っていた。
また、言ってるわ。というのがみんなの感想、
馬鹿な二流三流の私大学をでた社員たちは、理解できるものはほとんどいなく、
頭の中は、店のことと、ワースケのこと、彼女のことと、車のことしか無い。
しきりに、社長は人材は、人財であり、人を教育し、開発することが大切とあり、
当初は人事もそういう観点であったのだが、
いつかしか、現場おまかせの、人事無き戦いであった。
あのころの人事担当はほんと、仕事をしていたのかと、丸さんに聴きたい。

すかいらーくは、終わりです。
ガストに変わります、と、エリアマネージャーの大川原さんから聴き、
となりの店はすかいらーくでのこり、結局数年で変わったが
店に帰り、みんなに報告した。

自分ですかいらーくの店を開けて、自分で同じ店でクローズさせる
耐えがたいものであった。
最後までモラルを下げないで、すかいらーくをやろうと決め。
とんでもない目標を掲げた。
フロアーは月間で、レジの間違えをなくし、ゼロにする。
キッチンは月間で、すべての料理提供時間を100%守る。
とんでもない目標でもみんな
がんばって、やってくれた。
しかし、ガスト転換のどさくさで、そういうすごい快挙は地味に店だけで
終わった、それでもすごいことだとおもう。

店を閉める日程と、ぼくと社員のガスト研修の予定。
店の訓練の予定表があがり、

店を閉めて。みんなで、すかいらーくの送別会をした。
ぼくは、彼女を連れて、参加、といっても、店にいたこだったから
みんな知ってる、
ぼくは、冒頭、みんなに、謝った、謝ることで、悔しくて泣いた。
泣きながら、すかいらーくが閉店するのは悲しくて残念だと・・。
みんなは、訳がわからず、そんなことをいうことはない、
みんなで、ガストをがんばろう、ということになった。

でも、ぼくは、みんなで、ガストを頑張ろうと、言ってくれた人たちは
果たして、何人か続けるか、辞めるだろうと思っていた。
きつくなるのはわかっていたからだ。






今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

注意、このページはすかいらーく本部さま、会社さまとなんら関係のあるものではありません、

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