28.  さらば広島五日市

店長が前川さんに替わり、夏前の商盛期の採用やスケジュール作成をさせてもらい
1年前の夏はひどい営業だったが、
なんとか、乗り切ることができた。

秋になり、早くも前川さんは実績を買われ、須磨に異動となった。
半年もいないまま、それで、寺坂さんが五日市に来た。ぼくは、オープンさせた店で
3人も店長を迎えたことになった。
そして、すぐにぼくは、四国の二期目の出店攻撃メンバーに入り。
丸亀店のオープンの二番社員でゆくとになった。
寺坂先輩は
「おまえは、ここでは、評価されなかった、必敗や、次でやり直しや・・」
本当にぐさりとくる言葉をいわれ、
彼女と、丸亀のほうに家を探しにいった。
今度の家はすこしでも広い家に住みたいと思い、新築のアパートを見つけたが
驚くべきことに、横には、あの朝霧の丸岡さん、三宮のばっちゃん事件で電話した。
反対のへやには、松尾くんという九州から飛ばされてきた社員がすんでいた。

広島のアパートの引っ越しの準備をして
最後の日曜日の営業は中番だった。ぼくの後釜は国泰寺から沢田くんがきた。
彼はぼくが佃をさるとき、来た。今度は2回目、彼はそういう縁だった。

その日は忙しく、なかなか営業抜けれなかった。
フロアーやキッチンのメンバーは僕に挨拶しようと、待っていてくれた、
でも、なかなか、あがれない。
みんなは、網戸越しに口々に、さようなら、お世話になりました。といい。
女の子数人は涙を流していた。
ぼくは、涙に感動していた。

その日の夜。彼女と、丸亀にむけて、車で旅立った。

もう一度、店の前にいき、車を止めて、店を見た。
ぼくは、自分なりの達成感というものをもち、広島をあとにした。

みんなが書いてくれた色紙を読んでいた。
高校生のキッチンの女の子が書いていた文字を見ておどろいた・・。

「いつも、顔を見て驚きました。怒っているのかと・・」

ああ、ぼくは、反省した、いつもそういう風に思われていたのか、
そうか、自分ではわからない、
知らず知らずに、バイトたちに偉そうに、当たっていたのもかもしれない。
精神的にまいって、新店なら、みんな新人だから、そうなりやすい。

その文章は忘れることができない。他の社員、余裕のない顔、怒った顔。
そういうのを見せてると、いけないんだ・・。

五日市の店を離れ、またしてもしんどい新店。
またそこで、新たなる出会いと別れがある。





今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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