27. 広島メンバーの話  07

広島にいたのはぼくは一年と半年すぎ、
長く感じた、国泰寺のもりてんはSVに昇格し、
観音本町の斉藤さんはなぜか、広島のひとでしたが
再び、関西に戻り、
五日市で苦労をともにした中島は国泰寺に行かされてていた。
そんな彼に、突然、関東の店に異動命令がでた。
「なんか、本部で、アメフトのチームを作るというので
ぼくは、甲南大学でアメフトやっていたので、呼ばれました」
そう、ぼくに言ってきた。
そんな理由で異動があるとは、ぼくは驚いた。
「練習しながら、試合しながら、店やるの?そんなことできるの?」
ぼくは、心配した。


中島君とは気があい、いろんなことを話した。
人事異動を考えようと、ふたりで、事業部の次にだれが
店長になり、だれがどこにいくか、ということを予想した、
全部、あとで、当たったのには驚いた。
すかいらーくの未来ということで、店はどう進化するか
についても語り合い、その後数年たったときに
半分はそのとうりになったのだった。
頭の回るやつだった。

田原は、ぼくが五日市を異動したあとも最後のオープンメンバーとして残り、ぼくが異動するときに、みんなで金を集めて
石油ストーブを贈ってくれた。


田原とぼく。
田原の入社時のトレーナーは寺坂先輩であった。

このこう、終わり。




今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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