24. 五日市の話 04

ぼくは、歯が虫歯に成り、アレルギーがひどくなり
体調を崩しつつも、なんとか、休みは神戸に車を飛ばし帰ろうとしていた。
当時は、中国道しかなく、これも山々をくねくね走り、
しかも、高速代金、ガソリン代などの出費がいたかった、
給与と言えば、残業はあまりつけてくれないので、13万前後。
手書きでタイムカードを書かなければならず、しかし、もう
毎日トップラストでもありながら半分以下の残業しかつかず
月末にタイムカードを書いてくれと店長にいわれ、
目の前で、タイムカードを破り捨てた、こんなものかく必要も無い
といいながらキッチンの閉店作業を行う。
店の利益は結果増え、店長は評価されても、自分は体を壊すだけ、
のちののちに、再び、新規店舗の店長で赴任されるのだが
社員には、全部残業をつけろ!と、命令。
結果、社員は喜び、ぼくは、会社に貢献できぬ人間というレッテルを貼られた
と思う、

家賃を払い、晩飯をセブンイレブンでかい、それでもう、まったく月末にはゼロ、
それで、デートのほうも金がかかるので、金がなく、CDを売りに行ったりもした。
彼女に会いたい、というのもあったが、あの家出騒動もあり、
心配だったのだ。悪かったという思いもある。
会いたいと泣いて電話してくれば、
ラスト勤務で単休で、翌日TOPでも、帰った。
夜中に走り、SAで眠る、それでも、若いから平気だった。
でも、ふと、なんで、こんな目に遭うのか、ともおもった。

ぼくのおかんが、姉に最初のこともが無事生まれた。
と、わざわざ、電話してきた広島の店まで、よほど嬉しかったのだろう。
それに、ぼくは彼女のおかんの暴言で姉が精神的なショックで流産しないか
心配だったのだ。

店長は休みはくれるし、たまに自分の休みを潰しても3連休などもくれた。
休みはくれるが勤務は厳しい。

「やればいいんだよ!」
で、おわり、とにかく、やればいいんだの一言。
しかし、やさしいところもあり、ぼくと中島を広島行ってすぐのころ
家に来なさいと、嫁さんの料理を食べさせてくれた。
しかし、ひどい家で、ふすまは全部破れており、すごかった。
きけば、奥さんは、岡山のひとで、要するに、駆け落ち同然で
三木に転勤の時に強引に結婚したそうだ。なんだ、ぼくとかわらないじゃあないか
と、思った。
しかし、ひどいぱちんこ中毒だった。
奥さんには必要な金しか渡さす、あとは全部、ぱちんこにいれていた。
三木では麻雀まかりして、弱い大学生相手に勝ちまくり
負けたら、バイト代か、労働時間で(ただばたらき)で払わせたりしたという、

なんだ、それで、利益があがり、評価されたのか、
でも、食材管理は徹底してできていた、

国泰寺と観音と五日市を連続オープンという荒行をし、
やがて、店長が国泰寺のグランドマネジャーという職務に出世した。
あいかわらず、ぼくは、五日市でがんばるしかないのであった。

そこに代わりに来たのが、前川店長であった。
関西二期、車は初代ソアラ、独身。
前川店長は、ぼくには好意的だった。なかなかやらせてもらえない商品管理を
やらせてもらった。
計画を立てたあとは、必ずCKを赤ペンで指導してくれた。
「やりたいこと、変えたいことあれば、なんでもいってごらん」
僕の好きなようにすればいい、ようなことを言ってくれたのには
驚いた。

前川さんは社員の気持ちがよくわかるんだ。
面接採用もやらせてくれた。
店がどんどんかわっていこうとしたときに、様々な問題が起きてくる。

ぼくは、広島のまちを車で走ってるときに前から来た赤い車を見て驚いた。
元いた社員の山本と、ランチの主婦のひとが車に乗っていた。
その人はまだ若く、美人だった。ぼくは、ぴんときた。
山本は主婦キラーといわれ、前の彼女も主婦で、つきあって、離婚させて
そして自分も捨てるような、ひどいことをしていたのだ。

今の僕なら、まあそうか、でおわるが、僕は若かった。
なんとかせねばと、思い始めた。

そこで、彼のアパートにいきなり押しかけ、どうするんだと、聞いた。

2018/04/19UP




今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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