21. 広島五日市の不毛地帯

広島に着いた、荷物を狭い山のアパートで受けて、
その日は休み(異動日)ではあったが、新しい店に顔を出すことにした。
店はまだできておらず、工事をしていた、五日市の駅の南に
その店はあり、周りにはなにもなく、オーナーの植木屋の店があるだけ
であった、店長に挨拶し、メンバーと顔を合わせた
新規店舗にはプロモーターというものがつくのだが
今回は事業部から副部長が担当し、しかも、ほぼ同時オープンの
大芝店もやるということ、
大芝店は、関西二期生の真鍋さんだった。二番はあっさん、あの宝塚を
ごうてんとともに、潰した関西三期。そして、メンバーには他にも
あの寺坂先輩がいた。寺坂先輩は実は数加計月前に、福山の店を
明けるべく、異動までしたのだが、急遽、取りやめに成り
行き場がなく、そのまま広島の母店の国泰寺にいた。
そして、新店メンバーということできていた。
五日市の店長は、水口さん、彼は、元々トラック運転手という
経歴。三木で評価されて、国泰寺、観音本町の店長を歴任し
三店連続でオープンさせるという、離れ業をやろうとしていた。
反面を返せば、だれも関西から広島に行きたがらない事情があったの
だろう。
副部長は、目をぱちぱちにしながらぼくに・・
「なんだ、おまえの車に女乗せて、これからどこゆくんだ?」
と、ぼくに言った。

ぼくは何のことかわからなかった。

あわてて車をみにゆくと、
大きな荷物を持った、彼女が勝手に車に乗って、
笑っていた。

家出してきたのだ・・。

ぼくは、昨晩泣いて別れたのに、なんで、いるのか?
と聞くと、父親と大げんかして、
父親に、ひどいことをいわれたらしく、それも売春婦よばわり
して、頭にきて、荷物を詰めて広島にきたという。

ぼくは、驚いて、とりあえず、自分は休みなので
店長に帰るといい、
車を出して、とにかく、どこかへゆこうと考え
なぜか、安芸の宮口まで行った。

狭いアパートに帰り、ふとんも一つしか無く
これからこのまま生活が始まるのか、
それにしても、このアパートでは狭すぎて何もできないし
どうするか、悩んだ、悩んだ反面、このまま結婚してしまおうか
でもまだ、大学に籍があり、二年生。

しかし、その頃、たいへんなことが起きていた。
彼女のおかんが奪還作戦引き戻し作戦を開始していた。

まずは、僕の実家に攻撃を第一弾加え、
たまたま、お産で実家に帰ってきた姉がぼろこそに言われ。
おかんもあとの電話で攻撃を受けた。
それから、彼女のおかんの攻撃はすさまじかった。
東京本部、人事部、関西工場、山陽事業部など
ありとあらゆる、部署に
「娘が連れ去られた、どうしてくれるんだ。社員にどういう教育を
してるのだ!」のようなことを言い続けたらしく、
当時の役員会議にも話が上ったらしく・・。

そんなことを知らず、に三日が過ぎ
ありとあらゆる人から電話、説得、注意を受けた。
よくよく考えれば、ぼくは恋愛関係にあったにも関わらず
なにも、連れ去るようなことをしていないし、ぼくが責められることは
内に等しい。

が、早く神戸に返せ、返せ、攻撃がぼくにくだされ、
ぼくも、とりあえず、神戸に帰るように彼女に説得をした。
なんとか、彼女は冷静になり。
ぼくも必ず神戸に休みは帰るからといい、

広島駅にふたりで向かった。
新幹線のドアが閉まるまでふたりで話して
またもや、泣いていた。ぼくもつらいが、仕方ない。

そんなこんなで、彼女家出騒動は終わった。この話は本部における
伝説になったらしく、ご多分に漏れず、大きく人事評価を落としただろう。
以降、副事業部長はぼくに厳しく、えらそうになったのだ。

新しい店の準備は山のようにあり、
新幹線の見送りから五日市に帰ると、仕事が山積みにであった。


この項おわり。





今はなき(旧)すかいらーく、その会社にぼくは費やした時間と情熱を思い出させずにいられない。

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