100. 佐々に捧げる

もう、このすかいらーくの思い出も5年か6年書い
てる
誰も読まないのであるけれど・・。

先週であるが、後輩の佐々愼くんが肝臓癌でなくなったと
連絡が来た。
彼の思い出について語りたいと思う。
もう20数年あってはいない。
どうしてるのか、元気なのか
心配してる矢先であった。

ぼくが1993年頃か、伊丹に居た頃、
福西くんという同期が辞めた、尼崎立花店のお店であった。
そこに、新任で、佐々君は来たのであった。

伊丹瑞穂で一緒にやっていた福久が尼立にゆき
人事的な交流はなんどもあった。
ガストに転換し、馬鹿売れし、彼の営業能力の高さと
福久くんのお陰で、業績はよかった。
その後、江坂に新店がでるということで、異動。
夢野からは女性社員のきださんが赴任された。
江坂でもがんばり、今度は西梅田に異動。
ここでは、詳細は知らないが、大変な目に遭わされたという。

彼は後輩であるのですが、
ぼくを友人のようになれなれしくはなし。
親しみをもってくれていた、ぼくは、いつも辛口でしたが
彼の僕を呼ぶ名前が、忘れることはできない。

最初の結婚の最初の子供が生まれたときに
なにかしらないが、まだ、独身で
震災の神戸にいるぼくに、朝早く携帯で
子供が生まれた、と、電話してきた。

あいつにとって、ガストはなんだったのだろう
すかいらーくに入ってよかったのか・・。

まだ、若いのに、
もっと、話せばよかったと反省する。