オフコースデビューまで

小田和正(1947年9月20日生まれ、実家は薬局らしい)が鈴木康博、地主道男と大学卒業記念なのか、22歳の時に
ジ・オフ・コースで1969年ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場。
しかし、2位になったことでプロに転向した、
1970年4月5日 シングル『群衆の中で』(作詞:山上路夫・作曲:BETTY DEAN)でデビューする。地主氏は社会人になり、設計家として成功したらしい。
しかしながら、実に、彼らは、おぼっちゃまで育ちもよくあまたがいい。
家庭環境が良かったのか、学校もよかったのか、偏差値も高かったんだろうと予測する。小田さんの音楽作りしていた光景などを見ると実に
計画設計の端々を感じる。
鈴木が東京工業大学に進学し、小田が東北大学建築学科に進学、これで普通は解散するものだが、小田がくるまで横浜まで機材を積んで
練習を重ねた、おそらく、大学生活は普通におくり、歌が好きでギター
を引いていたんだろうとおもう。宮城大会にでるために、東北大会にでるために練習して、学生の記念にでもするつもろだったのか。(僕の透視)
しかし、2位、なぜか、2位、くやしかったんだろう、よほど、
しかし、プロに転向することでもっと苦労を強いることになるとは、
まさか、夢にも若い22歳の彼らには予測できなかったのか。
小田がでも、早稲田大学の大学院に進学する。よほど、勉強すきだったのかな。それとも、親に就職しない口実のためか。。。
やっさんは、内定までもらっていたのをけり・・すごい、男、

赤い鳥はいわずとも、大ヒットを重ねる、しかし、オフコースはまさしく
オフコースを進むくとになる、
彼らは、必然的にあの、高度成長時代の建築と電子の一流企業での
エリートとなりえたのに、ロングヘアーの不良になってしまった、
実に、親の怒り心頭が伝わってくる、
 「 そんなものやめて、せっかく大学までやったのに!」

(なかり、僕の透視がはいってます、)

東芝EMIさんのページから