offcourse-love 本文へジャンプ2011年2月22日 0:07:25
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tanbarin


 オフコースは再結成されない、
絶対に無理だといわれている。
しかし、ぼくはあきらめない。
必ずもう一度、年寄りオフコースを
みれることを・・。長七


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オフコース 伝説のグループ

オフコース。もう誰も語りはしない。
もう結成されることもない。 優しさの時代。愛の時代。 あの時代はどんどん遠く・・。


管理人のオフコースのブログ
最近更新していませんが・・

OFF COURSE BOOK 15 拓郎がオフコースを語る。



オフコース4人時代に解散まで
オフコースBOOK
fanクラブのオフコースカンパニーから
本が限定で出された。

要約してのせてみたいとおもいます。
オフコースカンパニーにみなさん、すいません、(もうないな)


拓郎  オフコースを、知ったのはかなりまえで、ヤスと二人やってる頃だ。
        (本が出たのは1988年秋)
    いまは音楽業界を辞めたやつだが、そいつが、オフコースのことをかわいがって、
    新曲がでると、必ず、テープを俺の番組にもってきて、流してくれというんだ。
    それでよく、会ったことはないが、覚えていた。
    ( ヤスが、ギターの弦をきれて予備を持ってなくて貸してもらったエピソードを    拓郎は、おそらく、すっかり忘れている、とぼく は推測する)

    それから、最初にあったときは、小田はぜんぜん、しゃべらないんだ。
   ヤスのほうが積極的にしゃべるかんじだった。
    仁は(清水仁)は、関西からデビューすることで、俺がプロヂュースするようになった。
   なにしろ、彼らの演奏はうまくて驚いた。最初のLPには、ライナーのーツを書いたんだ。
   だから、その後、オフコースに仁が、入ったと聞いて、驚いたな。

    小田和正というのは、俺からみれば、イメージと裏腹の部分で生きているんだね。
    プライベートなとこであったりすると、
そのたびに     男臭いなあと、思ったりした。
    それに、すごく。おこりっぽい、そういうのを見ていると、
  小田和正は実はイメージの人物像とちがうところで、ほんとは生きてたりする

    音楽だけ考えれば、オフコースの音楽はぜんぜん、女々しくない、
    ジローのドラムなんて烈しいしね。ただ、たまたま、小田の声が高いとところで
    ハモルので、そういう風に思われがちだけど、音楽は骨太ですよ。

    音楽の業界ですごイメンバーが集まって、発言するところでは
    小田は発言しているとこ、聞くと、頑固だなー
    と、おもうんだ。

     俺が頑固なとこが、きえつつあって、     そんなときでも、小田を見ると     「 あいつまだ、頑固でいるな」     と、うれしくなる。

    オフコースをやり続けるというのはそのエネルギーwを持続するのはたいへんだとおもうんだ、オ    フコースというグループが、もう大人になっているんでしょ。
    大人の年齢で、いろんなことをふくめてたいへんだとおもう。

    でも、バンドというのは、憧れるだ。
    だから、オフコースにいれてくれと、    小田にたのんだんだ、

    そうしたら、「だめだ」っていうんだ。

     中略
   

    小田はまだ、ターゲットが大きいところでもやれそうな気がするん    だ。

    小田の夢は、いろいろ聞いたり、途中まで片棒かついだり、参加し    たこともあるんだ
     けど、ほとんど崩れているわけ。うまくいってないんだ。

    だから、ぜひ、小田には大きな夢を実現してほしいんだ。」


以上。すこし、内容は変えてますが本筋どうりです。
しかし、拓郎はすごいね。わかってる、先も見えてる。
小田さんのその後もみている。1988年だから19年前の発言です。

われわれは、人間小田和正の数パーセントも理解していないのだ。

現実とイメージは裏腹なんだ。

あわせて、小田和正の苦悩と努力が聞こえてくる。


そして、吉田拓郎のでかさをかんじる。