オフコース4人時代に解散まで オフコースBOOK fanクラブのオフコースカンパニーから 本が限定で出された。 要約してのせてみたいとおもいます。オフコースカンパニーにみなさん、すいません、(もうないな) 拓郎 (本が出たのは1988年秋) いまは音楽業界を辞めたやつだが、そいつが、オフコースのことをかわいがって、 新曲がでると、必ず、テープを俺の番組にもってきて、流してくれというんだ。 それでよく、会ったことはないが、覚えていた。 ( ヤスが、ギターの弦をきれて予備を持ってなくて貸してもらったエピソードを 拓郎は、おそらく、すっかり忘れている、とぼく は推測する) それから、最初にあったときは、小田はぜんぜん、しゃべらないんだ。 ヤスのほうが積極的にしゃべるかんじだった。 仁は(清水仁)は、関西からデビューすることで、俺がプロヂュースするようになった。 なにしろ、彼らの演奏はうまくて驚いた。最初のLPには、ライナーのーツを書いたんだ。 だから、その後、オフコースに仁が、入ったと聞いて、驚いたな。 小田和正というのは、俺からみれば、イメージと裏腹の部分で生きているんだね。 プライベートなとこであったりすると、 それに、すごく。おこりっぽい、そういうのを見ていると、 音楽だけ考えれば、オフコースの音楽はぜんぜん、女々しくない、 ジローのドラムなんて烈しいしね。ただ、たまたま、小田の声が高いとところで ハモルので、そういう風に思われがちだけど、音楽は骨太ですよ。 音楽の業界ですごイメンバーが集まって、発言するところでは 小田は発言しているとこ、聞くと、頑固だなー と、おもうんだ。 オフコースをやり続けるというのはそのエネルギーwを持続するのはたいへんだとおもうんだ、オ フコースというグループが、もう大人になっているんでしょ。 大人の年齢で、いろんなことをふくめてたいへんだとおもう。 でも、バンドというのは、憧れるだ。 そうしたら、「だめだ」っていうんだ。 中略 小田はまだ、ターゲットが大きいところでもやれそうな気がするん だ。 小田の夢は、いろいろ聞いたり、途中まで片棒かついだり、参加し たこともあるんだ けど、ほとんど崩れているわけ。うまくいってないんだ。 だから、ぜひ、小田には大きな夢を実現してほしいんだ。」 以上。すこし、内容は変えてますが本筋どうりです。しかし、拓郎はすごいね。わかってる、先も見えてる。小田さんのその後もみている。1988年だから19年前の発言です。 われわれは、人間小田和正の数パーセントも理解していないのだ。 現実とイメージは裏腹なんだ。 あわせて、小田和正の苦悩と努力が聞こえてくる。 そして、吉田拓郎のでかさをかんじる。