オフコースは再結成されない、
絶対に無理だといわれている。
しかし、ぼくはあきらめない。
必ずもう一度、年寄りオフコースを
みれることを・・。長七
オフコース。もう誰も語りはしない。
もう結成されることもない。
優しさの時代。愛の時代。
あの時代はどんどん遠く・・。
大人の雰囲気のツアー。
MYの夜景のバックがすばらしい
- 『スナップ・ショット
- —オフコースその夏まで』
- 藤沢映子 著
藤沢さんのオフコースのほんは
他にもあり、情報がでない
オフコースのことをしることができた。
このツアーは実に長く
ハードな日々が続いた。
伝説のひまわりの映像
ソフィアローレンの
「ひまわり」
の映画から引用されたもの、
多額のレンタル料をはらって
この映像がえらばれた。
ひとりのファンのオフコースへの
思いがエッセイになっている本。
オフコースが売れる前と
売れてからと複雑な思いが
描かれています。
小田さんが結婚したことのショック
などもね・・
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木暮溢世がこのLPからデザインを担当し、統一したコンセプトで後の二作を担当した。 |
裏面撮影予定
このアルバム以降、『FAIRWAY』まで小田はフルートも演奏している。当時、小田と鈴木は新しい音の広がりを模索しており、小学生の頃習っていたバイオリンも候補に挙がったが、「それじゃオダじゃなくサダになる」と小田が嫌がり、代わっていつの間にかフルートをマスターしてきたので驚いた、と鈴木はライブMCで語っている。なお、小田自身は「フルートもピアノも独学」とギターブックでのファンからの質問への回答で語っているW
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1 |
ランナウェイ
(4’18”) |
鈴木康博 作詞 • 作曲
ライブでは定番となるのりのいい曲。 |
2 |
ピロートーク
(3’44”) |
フルートは小田和正。独学でマスターをする。
- 鈴木康博 作詞 • 作曲
- 間奏の「縦笛」あの武藤さんです。
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3 |
こころは気紛れ
(3’52”) |
小田和正 作詞 • 作曲
スローバージョンです。「生意気な女・・」というフレーズに男たちは共感。しかし、ファンはほとんど女性。 |
4 |
ひとりで生きてゆければ
(3’43”) |
小田和正 作詞 • 作曲 |
5 |
ひとりよがり
(1’38”) |
鈴木康博 作詞 • 作曲 |
6 |
青春
(3’25”) |
鈴木康博 作詞 • 作曲
木魚のおとがはいる、やすがたたく。フルートは小田。ライブ・アルバム『秋ゆく街で / オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート』に収録されていたが、このアルバムへの収録に際し、歌詞を一部書き換えている。また、後に鈴木が『BeSide』と『FORWARD』でセルフカヴァーした。
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1 |
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1 |
めぐる季節
(3’55”) |
小田和正 作詞 • 作曲 |
2 |
おもい違い
(3’48”) |
鈴木康博 作詞 • 作曲 |
3 |
青空と人生と
(3’13”) |
小田和正 作詞 • 作曲 |
4 |
恋はさりげなく
(2’48”) |
鈴木康博 作詞 • 作曲 |
5 |
冬が来るまえに
(5’47”) |
小田和正 作詞 • 作曲 |
6 |
歌を捧げて
(3’14”) |
小田和正 作詞 • 作曲 |
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「歌を捧げて」のあとに続いて収録されている1分ほどのアウトロは、次作『JUNKTION』のA-1「INVITATION」にイントロとして採用されている。また、「歌を捧げて」は後にハイ・ファイ・セットによってカヴァーされたが、本作品は歌詞を短縮した代わりに前述のアウトロを収録したのに対し、ハイ・ファイ・セットのヴァージョンでは2番の歌詞がある。このアルバムにはオフコースとしては珍しく、「僕」の一人称を使用した曲は全く収録されていない。 |
松尾のハーモニカが四曲はいる、
合宿レコーディングの前日、武藤氏から呼び出され、「松尾、ハーモニカ、できるか?」
の言葉に返事し、合宿に参加したのであった。
僕の中の記憶で申し訳ないが、オフコースのこのLPは当初はさほど注目されなかった。
しかし、のちのヒットでオフコースの世界が注目され、後のファンがさかのぼって過去のLPを
購入することが多かったとおもう。 |
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シングルカット
- ひとりで生きてゆければ
リリース:1976年5月5日
- めぐる季節
リリース:1976年10月5日
- こころは気紛れ
リリース:1977年2月5日
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このアルバムの製作には「合宿方式」でおこなわれた。従来の時間的な制約を受けないために1976年8月15日午前9時半、東芝EMIのスタジオ・ロビーに集合。
メンバーは武藤氏、ミキサーは村田氏
小田鈴木、清水の代役で小泉良司、他六名。その中にふらっとあらわれたのが
松尾一彦。
彼は大間と武藤氏に誘われてきたのだ。彼は着替えひとつもたずに二週間、
いわれるがままに、ギター、パーカッション、ハーモニカ、歌と仕事をこなした。
合宿先は「箱根ロックウェルスタジオ」
車四台に分乗し新宿から2時間、
別荘地のおくまったところのにあった。
もう、そのスタジオはない。
箱根ロックウェル
その伝説のスタジオはいろいろなアーチストがつかったと記憶する、
小田和正はなんどもなんども
松尾一彦の「長島」のものまねと要求し、
笑ったという。
このアルバムのトーンみたいなもの
「自然の中」のメローメロディみたいなものを
僕は感じるんだ。
「思い違い」の歌ではやすは自分たちの駆け出しのころをうたう、これも面白い。 |
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1979
1982
1976
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