ぼくの高校時代の手帳にはオフコースカンパニーの電話番号がなぜか、載っていて
いつか、かけよう、かけてみよう、電話したら、メンバーが出るかな・・用事もないのに
かけてもいけないし・・とおもいつつ。電話することはなかった。
あのオフコースエッセイを出した佐々木さんは、実際に電話したことが書かれていた。
その会社、オフコースのことをすべてやる会社、自前で自分たちの面倒を見る会社、
しかも、その中の社長は「小田和正」。決してひとまかせにせず、自分たちでやる、
和合ハイツ、オフコースファンの聖地といわれたところ、
二階にはしかも、達郎の事務所もあったとか、
その場所は2Kという狭さ、
しかも、賃貸物件でさがせば、みれるというもの・・
しかし、資料はないし、メンバー社員もわからない、
藤沢さんのほんにすこしのっています。
ぼくが不思議なのは、オフコースが休止したときに
社員はどうやって給与をもらえたのか・・
オフコース解散には、すべて解雇されたのか・・。
ファーイーストに移行したひとはいるのだろーか、
小田社長は、人を緊張させるのが得意だったようだ、
あーだ、こーだ、意見をいい、
「ま、いいっか・・」でおわるのは人間としておもしろう。
続くのである。