彼女ほど、オフコースとの関係の深いひとはいないとおもう。
まず、小田和正鈴木康博地主道夫らのthe off? course
が、1969年11月2日 第二回ヤマハライトミュージツクコンテスト(LMC)全国大会で、山本潤子と、オフコースは運命的な出会いをする。
オフコースは、出番まちで練習をする 「 赤い鳥 」を目撃。
その音楽性の高さに驚愕したという。
オフコースは、自信満々であったのが、2位になり、
見事、赤い鳥は「竹田の子守唄」 でグランプリ。彼らは、スターダムにメジャーになる。
小田らたちは、実は音楽が好きでプロになるつもりはなかった。
たとえば、鈴木はもう企業の内定までもらっていた。
小田は、建築の世界で生きるか、音楽で生きるか悩んでいた。
その思いは、「 赤い鳥 」の存在であった。
彼らは赤い鳥に負けた挫折感から、音楽に対する未練がのこった。
葛藤が長い間、続く。
赤い鳥は、その後、ヒットを連発。「 竹田の子守唄 」 100万枚のヒット。「 翼をください」はそのB面であった。
オフコースがその後、レコードを出さないかとか、そのプロモートとか
なしぐずしに、プロに転向。
鈴木は、親と勘当扱い。内定もけり、音楽へ
小田は、一浪し、早稲田の大学院に進学。
1970年11月14日。
「 8人の音楽会 」 開催、
オフコースと 赤い鳥が 音楽会を開いた。
1974年、赤い鳥は 路線の違いから解散、
「 紙ふうせん 」 「 ハイファイセット 」に分裂した。
そのとき、売れないオフコースに山本が誘ったのだ。
一緒にグループしよう・・・
小田さんたちは断った。
ハイファイセットが誕生したときにリサイタルにオフコースも参加。
そして、歌も贈っている。 「歌を捧げて」
オフコースが解散・・
鈴木康博、ふきのとうの細坪基佳らとグループ。(2000年)
ユニット「Song for memories」結成。
2004年に小田の番組 「かぜにように・・」に出演。
ほんとうに、オフコースの中では、縁の深い人物。
それが、山本潤子。
しかし、声が綺麗、高音の綺麗さは比類がない。
小田さんの高音もいいけど、彼女の声はなごむ。