鈴木康博

オフコース当初からの創立メンバー
小田和正とは中学からの同級生である。知り合ったのは、中学受験のための進学塾。やがて高校時代、フォークソング・ブームのなかで2人を中心としてフォークソングを歌うようになり、これがオフコースの原点となる。

大学時代は、仙台の東北大学に在学していた小田が楽器を抱えて、横浜で鈴木たちと練習をしていた。ライブも主に横浜で行っていた。
東京工業大学で、電気制御工学を専攻。四年のときには、安川電機に内定までもらっていた。
鈴木の父は電鉄会社の重役。彼もまた、おぼっちまであった。
しかし、彼の方がいち早く音楽で生きることを選び、ヤマハでバイトしながらアレンジの仕事をしたり、ギターの腕をあげるべく日夜暮らしていたとおもう。
鈴木さんは、ヤスと今呼ばれ、ヤっさんともいわれていた。横山ではない。
郷ひろみにて提供した歌。
素敵にシンデレラコンプレックス が1983年に大ヒット。作詞は秋元康
トヨタカローラのCMにも使われた。
鈴木康博のコーラスワーク、ギターは高い技術をもち。
オフコースが、スターダムにのしあがったのは、鈴木の音楽技術の高さを評価していいと、思う。

絶対的な信頼関係であった。小田、鈴木。中学生のときから、長い間苦労し
好きな音楽をやっていた、オフコースを路線を変えて、3人の参加により、
バンドとしての、ポテンシャルを高めていったのだが、亀裂は生じだ。
解散の真相は、本、ギブアップにのっているらしい。
でも、僕は読まない。その本を、その本の作者はもう、病没したそうだが。
僕の中では、ある言葉を感じている。
鈴木は、卒業したかったのだ。オフコースにいるよりも個人で試したかったのだと思う。彼はおそらく、平和的な脱退をしている。で、懇願している。
「ぼくがいなくなっても、オフコースは続けてくれ・・・たのむ。」
苦しい胸のうち。小田も、鈴木も。苦しんだ。
小田は、ぼうぜんとし、解散をきめていたところもある。

鈴木と小田が、横浜の小さなコンサートをして、すくないけどファンに支えられ。
秋ゆく街で、リサイタルとか。充実した日々を送っていた。
そういう、やり方では、売れない、まわりは、どんどんヒットし、有名になっていく。

そういう時代と、全国ライブツアーを敢行し出した、5人時代。
「 なにかかちがう。」そう、鈴木はかんじたのかもしれない。
なにごとも、おとなしく争うない、彼ら、心を開きぶつかり合えば、、またそういうのなら違ったのかもしれない。

オフコースから、売れたのは小田さんだけだった。
しかし、売れた売れないの判断だけではいけない。
うり方にも、スタッフのめぐまれたかにも、仕事のき方にも運がある。

小田さんは、人一倍、苦労したんだとおもう。

僕は思う。彼らがその塾で,あうことがなかったら、
鈴木が小田を音楽の世界にひきずりこまなけらば。

いまは、なかった。
バンドは、野球チームと同じだ。
試合をしてるようなもの。
いいチームは、いい関係で仕事している。