清水  仁

1950年11月25日生まれ。
大阪市出身。私立太成高校中退。
バッドボーイズ
ポール・清水仁、リンゴ・城間正博、ジョージ・川端孝博、ジョン・廣田龍人というメンバーでビートルズのコピーバンドを結成
1969年大阪で結成し1973年東京へ。オフコースを同じ事務所に入る。その後、売れず解散、大阪に帰るつもりが武藤氏などのすすめによりオフコースに1976年加入。
唯一、関西弁の清水さん。清水さんだけは、オフコースのメンバーとは異質。小田さん鈴木さんの優等生と田舎者の大間さんと松尾さん、
当初、清水さんは、小田さんとの最初のであいで、こうかたる、
「 どついたろか、おもいました。」
清水がきちんとあいさつしても、ろくに挨拶を返さなかった、鈴木さんは丁寧に挨拶。
しかし、清水の加入には、鈴木と小田の意見が食い違った。
鈴木 「 あの、清水君の加入だけど、武藤さんのいうのもわかるけどさ、どうもね、バンドとしはあわないとおもうんだよ、」
小田 「 いや、ああいう僕たちのもっていない人間性を、ぼくらは必要なんだよ。彼は僕たちのオフコースが必要とする人間だとおもうよ。」そう語った。
そうとも知らず、清水は、小田を殴るところだった。
清水さんは、優等生でなく、高校も音楽をするために2年でやめ、
学校や会社みたいなところが大嫌い、まさに、ロック魂の熱い人間であった。清水は、音楽が好きで、大阪のデイスコで演奏をし、何とか食いつなぎ26歳でやっと、オフコースに加入した。
その16歳から26歳の経験はオフコースのほかのメンバーにはないものであり。オフコースは、優等生であるために、売れないコロはろくな扱いもしてもらえず、人を判断することに悩んでいた。
清水は、一言で、金目当てに接近するひとを見破り。
「 あいつは、あかんで。」その言葉を小田も信用し、信頼した。

オフコースが、フォークヂュオから、ロックバンドに変身していった背景は、大間、清水、松尾の三要素がもたらす結果であった、
その後、鈴木の脱退に関しても、清水かいたからこそ、4人で復活し
スムーズに、鈴木もソロデビューを果たした。

清水仁のオフコースの中での役割はまだあった。
小田の歌い方も変えて行った。
あきらかに、かわっていったのは、清水の一言、

「 もっと、シャウトしたらええねん。」
小田はしてるつもりが、楽譜の音符の領域を忠実に守る優等生は
はみ出しものロックを歌うには、はずすこともまちがうことも、
怒鳴ることも、魂をこめることが必要とされた演出であると理解するのであろう。