kazuhiko matuo

小田さんはオフコース時代、松尾さんのことをこういった。
「松尾は、ステージに華やかさを持ち込んでくれた。僕と鈴木二人にあたえてくれたものがいっぱいあるんだよ、音楽的にもね。
彼のいいところもぼくたちのいいところも、お互いいい影響を与えていった。

松尾は、秋田で山のなかで鉱山技師として働く父の下に生まれた。1954年8月。大間とは同年。
松尾と大間は出会い、東京にでてゆく。
74年「美しい季節」発売、作詞阿久悠作曲平尾昌安晃。
その後も3枚EPをだすがうれず、

しかし、挫折、
売れない・
解散になった。
オフコースの理解者でもある武藤氏はジャネットの理解者でもあった、彼らの夢を信じていた。


やがて彼もバイト生活に入る。
レコードの配送センターだ。
音楽への道をあきれめず、デモテープを作ってはぷろづゅさーに
渡す、が、相手にしてくれない。

しかし、ハーモニカひとつで参加した。
フラット、武藤氏にさそわれた、
SONG IS LOVE のレコーディング合宿。
そこで、彼の運命は変わった。

松尾さんは、まっすぐな、オフコースらしい人間。
彼は最後まで、オフコースをなしとげる。

彼はバイト時代見向きもしてくれなかった歌。
オフコースになれば、「いいうただよ」といって変わる人々をみてこころのどこかでさめていた。

1982年、オフコース休止のとし。
稲垣潤一のファーストLP246:3AM
に参加。曲をいくつも提供。
武藤氏の松尾への目はただしかった。
その中の曲でぼくがすきなのは。
「雨のリグレット」である。


稲垣潤一は、80年代90年大ヒットを飛ばし続ける。
音楽は、オフコースを基盤にシティー音楽と呼ばれる人々が
人気を取り始めた。